2008年6月9日月曜日

Paul_Newman

ハリウッドを代表する俳優のポール・ニューマンさんが肺がんのため入院していることが8日に分かりました。イギリスのサンデー・エクスプレスによると、ニューヨーク市内のがん専門病院で治療を受けているそうで、家族はかなり危険な状態であることも認めています。5月の下旬にアメリカ、インディアナポリスで開催されたインディ500というカーレースに姿を見せましたが、病魔はそのときすでに体をむしばんでいたといいます。家族は外部にがんのことを明かすのを望んでいなかったといいます。昨年の5月にはテレビ番組のインタビューで俳優として一線を退くことを宣言しましたが、近く自宅そばにある劇場の舞台を演出する予定がありました。しかし、それが急に白紙になるなど、ここ6週間の予定がすべてキャンセルされたことから今回の入院が判明したといいます。彼は1925年生まれで現在は83歳です。過去には3度のアカデミー賞をはじめとして多くの受賞歴を持っています。還暦を超えても第一線での映画出演をし続けた彼は、1994年にも「ノーバディーズ・フール」でベルリン国際映画祭などで数多くの男優賞を受賞しました。主な出演作は1956年の「傷だらけの栄光」、1960年の「栄光への脱出」、1961年の「ハスラー」、1966年の「動く標的」、1969年の「明日に向って撃て!」、1973年の「スティング」、1974年の「タワーリング・インフェルノ」、1977年の「スラップショット」、1982年の「評決」、1986年の「ハスラー2」、2002年の「ロード・トゥ・パーディション」などがあります。ここ20年はボランティア活動に力を入れており、彼の著名な活動の一つである「ニューマンズ・オウン」は、運営によって挙げた2億2千万ドルの純利益を全て恵まれない子供に寄付もしており、1993年にはその功績に対してアカデミー賞のジーン・ハーショルト友愛賞が贈られています。2007年には、オハイオ州の母校ケニヨン大に対して、奨学基金の設立資金として1000万ドルの寄付を申し出ました。奨学金は家庭の事情で学費が払えない非白人のマイノリティーの学生らに支給されているそうです。関係者によると、ポール・ニューマンさんは大のたばこ好きで、チェーンスモーカーだったそうです。

2008年6月8日日曜日

Kouichi_Sato

ついに公開がスタートした三谷幸喜監督の映画「ザ・マジックアワー」。この映画に主演した佐藤浩市さんは、30年のキャリアの中、とにかく熱く、とにかく男前の役がおおかったのですが、コメディー映画の今作では見事にイメージを覆しました。この「ザ・マジックアワー」では売れない役者、村田大樹という人物を演じており、この村田大樹は映画の撮影と思い込まされ、伝説の殺し屋を演じるという役どころです。オファーは三谷監督の「THE 有頂天ホテル」から2ヶ月たったあたりで、脚本もできていなかった状態でした。この映画には大きな笑いが起こるシーンがいくつかありますが、佐藤さんがポイントにしていたのがナイフを舐めるシーンです。殺し屋を演じる村田大樹がやくざを挑発して、ペーパーナイフをべろんと舐めるこのシーンを「観るものをストーリーのジェットコースターに乗せる場面」ととらえて考えに考えたそうです。脚本には「ペーパーナイフを猟奇的な顔でなめる村田大樹」と書いてあるだけでしたが、彼の解釈は「猟奇的なほどにおかしい顔」でした。初めて鏡を見て芝居をしたというほどこだわりがあるシーンで、映画の予告でも使われていました。勢いで笑わせる喜劇もあれば、作りこんだ笑いもあるという三谷監督の喜劇の特性をじっくり考えて撮影に挑んだ結果この作品の代表的なシーンに仕上がったといえます。コメディー映画への挑戦は、佐藤浩市さんのイメージを崩すことになります。これまでは、熱く、泥臭く、正論を掲げて戦う男の役が多く、世間ではまさにそう認知されていました。しかし、彼自身は固定されたイメージは嫌いなようで、今回の村田大樹の役でトライさせてもらえる喜びを監督に教えてもらったとコメントしていました。2007年の「スキヤキ・ウェスタン・ジャンゴ」では、強烈な武将、平清盛を演じたのは印象的でした。さらに宮藤官九朗さんがメガホンをとる「少年メリケンサック」にも出演するなど、イメージが覆るような作品が続いているのも確かです。こういった役が楽しめるか、振り回されるかはこれからの問題だそうです。

2008年6月7日土曜日

Erika_Sawajiri

スクリーンで見せる透明感と、マスコミで話題になる威圧感。女優、沢尻エリカさんは2007年は行き過ぎと見なされバッシング行為も受けました。しかし、「クローズド・ノート」では、平凡な女の子の役だからこそ実力が見えたと演技力を再評価する声が多かったのも事実です。この映画も小説が原作ですが、彼女が引っ張りだこの背景に、漫画や小説を原作とした企画が増えて、20歳前後のヒロインを演じる女優のニーズが高まっていることも挙げられます。この年代で主演女優となった宮崎あおいさんや、長澤まさみさんはいずれも漫画や小説が原作の作品に多数出演しています。もうひとつ、売り出す過程でも興味深いことがあります。沢尻エリカさんが所属するスターダストプロモーションという事務所は常盤貴子さん、中谷美紀さん、柴咲コウさんら多数の大物女優が所属していますが、中でも柴咲コウさんのブレイクの系譜には共通点が多いのです。柴咲コウさんは、在日韓国人男性と日本人女性の恋愛を描いた映画、「GO」で評価を得たことで演技派女優としての基盤ができました。その後、リリースしたCDもヒットし、アーティストとしての才能も見せています。沢尻エリカさんも、映画「パッチギ!」で演技派であることを認知させて、ドラマ「1リットルの涙」で知名度が拡大してのブレイク。作品の役名「Kaoru_Amane」でCDデビューしました。音楽関係者も、沢尻エリカさんのアーティストとしての可能性に大きく期待しており、担当したソニーレコーズのチーフプロデューサーは沢尻エリカさんの思わぬ歌の才能に驚いたそうです。レコーディングで何百テイクも重ねる中で、「雨音薫」の声をつかんでからは、寸分たがわずに同じ声で歌い続けたそうです。2007年は、セルフプロデュースした写真集「ERIKA2007」を発表するなど、自分がよりやりたいと思う世界へと進み、アーティスト性の高い路線を深めました。舞台挨拶での態度でバッシングされたことで注目度を高めた今後、どのような方向に向かっていくのか目が離せません。

2008年6月6日金曜日

Takao_Osawa

シリーズ化が決定した話題作、「築地魚河岸三代目」が明日6月7日から公開です。この映画はエリート商社マンが職を捨て、恋人の実家である築地魚河岸の中卸の世界の飛び込んでいくという人気コミックの映画化で、魚河岸で大奮闘する主人公を演じるのが俳優、大沢たかおさんです。敏感な舌を持ち、無類の魚好きという役柄ゆえ、劇中では見事な包丁さばきも披露します。しかし、本人は魚を食べるのは好きだけど、料理はまったく苦手だそうで、この映画のために魚をさばく練習をしたそうです。印象に残ったコメントは撮影を終えて市場から出ると、街行く人々の表情の暗さに驚くことがあったという言葉です。大沢たかおさんは築地にはそれとは正反対の、明るいパワーがあったといい、仕事で悩みを抱えている人に映画を観て熱い気持ちになってほしいと語っていました。彼は東京生まれの俳優で、2004年公開の映画「解夏」で日本アカデミー賞優秀主演男優賞を受賞、2006年公開の映画「地下鉄(メトロ)に乗って」では優秀助演男優賞を受賞するほどの実力派俳優です。1987年よりモデルとして活動しており、パリコレにも出演しています。俳優に転向してからは、1995年のドラマ「星の金貨」で注目をあつめ、その後1996年から、ドキュメンタリーとドラマの複合を実験的に行った番組「深夜特急」での経験が評価され、海外での仕事もこなすようになりました。最近ではあまりドラマに出演していない彼ですが、常に年に何本もの映画に精力的に出演しています。有名なのは2001年公開の「リリイ・シュシュのすべて」、2003年公開の「荒神」、同じく2003年公開の「スカイハイ 劇場版」、2004年公開の「花とアリス」、2004年公開の「世界の中心で愛をさけぶ」、2006年公開の「子ぎつねヘレン」、2007年公開の「ミッドナイト・イーグル」などです。今年は明日から公開の「築地魚河岸三代目」と10月から公開の「ICHI」に出演し、来年の2009年には「GOEMON」への出演も決まっています。また演劇でも、世界の蜷川幸雄さんと数多くコンビを組んでおり、舞台活動からも目が離せません。

2008年6月5日木曜日

ACHILLES_AND_TORTOISE

世界のキタノこと北野武監督が「日本人に見てもらえる映画」をコンセプトに新しい映画の撮影をしているそうです。それが、北野武監督の14作目にあたる「アキレスと亀」です。この映画の監督、脚本は北野武さん、出演はビートたけしさん、樋口可南子さん、麻生久美子さんなどです。クランクインは今年の2月、日活撮影所でのセット撮影、都内、千葉、静岡などでのロケを経て、4月下旬にクランクアップを終えました。アキレスと亀のパラドックスを説いた論証と同じタイトルの本作では、田舎の富豪の家に生まれた主人公、ビートたけしさん演じる真知寿の人生が綴られます。絵を描くことが大好きで、時に学校を抜け出し、あるいは線路で列車を止めてまで絵を描く彼を、大人たちは無責任に褒めたたえます。たとえそれが美術好きでパトロン気取りな彼の父へのおべっかだったとしても、幼い彼の心に響きました。こうして少年は画家で成功することを目指します。創作活動に取りつかれたまま年を重ねた、一介の凡人を熱演するビートたけしさんですが、作中では自ら描いた70点以上の絵画が登場するといいます。その青春時代を演じるのは柳憂怜さんです。そして画家としての成功を目指す真知寿はやがて大人になり、印刷工場に就職し、結婚し、父となっても絵を描き続けます。そんな夫を応援する妻の幸子を樋口可南子さんが演じます。そしてそんなある日、真知寿の創作活動が警察ざたを引き起こすというストーリーで芸術家の切なくも哀しい人生が描かれていきます。北野監督のコメントによると、「今回は当たる映画を撮っている。海外では評価を得ているのだけれど、やっぱり日本のお客さんに見てもらいたい。」とこの作品に対する意気込みを語っています。北野監督の代表作といえば、1999年の「菊次郎の夏」、2001年の「BROTHER」、2003年の「座頭市」、2005年の「TAKESHIS'」、2007年の「監督ばんざい」などがあります。果たして世界のキタノは今作ではどんな世界を見せてくれるのでしょうか。また、日本国内での評価を得ることはできるのでしょうか。

2008年6月4日水曜日

Aibu_Saki

1985年生まれの女優には沢山のビッグネームが揃っています。上戸彩さん、宮崎あおいさん、蒼井優さん、加藤ローサさん、そして相武紗季さんなどです。なかでの相武さんの特徴が際立つのがCMでの活躍です。彼女のデビューは2003年で、事務所に所属してわずか数ヶ月で「グリコビスコ」、「2ウィークアキュビュー」など、数社のCMのメインキャラクターに起用されました。どのメディアを軸に新人をプロデュースしていくかは、その事務所が得意とするフィールドに大きく左右されます。相武さんが所属するボックスコーポレーションには、90年代にCMの女王としてブームを巻き起こした一色紗英さんや、「ポカリスエット」のCMで脚光を浴びた中山エミリさんも所属していました。業界ではCMに強いという評価があり、広告代理店からの信頼度も高いようです。そういった背景が、早い時期から相武さんがCMで才能を開花させた理由の1つになっているのでしょう。しかし、それだけでCMに引っ張りだこになるはずはありません。彼女にはいまどきの女の子にはない少し古風なところもあり、それに加えてCMで求められる、健康的で知性も感じさせる魅力を持ち合わせているからなのです。彼女の人気に火がついたのが「ミスタードーナツ」のCMでしょう。このCMのコミカルな演技が注目を集め、それ以来元気で明るいイメージのCMに出演することが多くなりました。彼女自身もコメディ系は得意とするところと語っています。日本のCMは、シリアスなメッセージ性や映像美といった要素よりも、コミカルなタッチで短い時間にインパクトを出そうという作品が多く、相武さんがたくさんのCMで活躍するのにはこうした理由もあるのです。コミカルな役が得意なテレビドラマ、CMタレントというと、上戸彩さんか相武紗季さんくらいしかいないのが現状です。演技面だけでなく、関西生まれならではの話上手で親しみやすいキャラクターが、ブレイクの助けになったようです。女優業のほうでも、連続ドラマにコンスタントに出演するようになったのが2005年くらいからと、日は浅く多くのCMに出ている割には新鮮味があるという印象でした。人気がありながら、前に前に出過ぎないところが彼女の一番の魅力なのかもしれませんね。

2008年6月3日火曜日

Mao Inoue

2005年に「花より男子」に出演して以来一躍注目の女優となった井上真央さん。続編の「花より男子2」も高い視聴率をマークして、DVDボックスは初回注文で6万2500セットを超え、連続ドラマの国内新記録となりました。また、彼女が出演した映画「ゲゲゲの鬼太郎」も配収23億円の大ヒットを記録し、今やヒットメーカー女優とまでいわれています。そんな彼女を支えているのが卓越した演技力です。4歳から子役として活動してきた豊富な経験に加えて、天性の演技センスを持ち、「花より男子」では原作ファンの期待を裏切らないつくしっぷりを見せたことで大きな共感を得ました。最近は演技力のある女優のニーズが高まっています。それは最近のドラマがキャスティング重視のものから、内容重視のものにシフトされているためです。同時に時代は新しいスターも求め、生まれてきたのが若手女優の波です。長澤まさみさん、宮崎あおいさん、など頭角を現してきた女優たちに演技派が多いのはこういった背景があります。ただ、その演技派もいくつかのカテゴリに分類されます。井上真央さんは等身大のイメージがあり、その点では長澤まさみさんに近いのですが、長澤さんほど個人が前にでるタイプでもありません。どちらかというと役柄や、役名のほうが記憶に残る女優です。それゆえ、10代や女性の支持が高く、業界では「役に染まる女優」との評判で独自のポジションを築いています。子役から女優を目指し、芸暦が長い人は、一般社会を知らないまま大人になって、リアリティーに富んだ演技ができずに伸び悩むケースが多いのですが、井上さんは大学進学前の高校3年の時は女優業を休業するなど、学業を優先させており、そのことが演技の面でも武器になっているようです。20歳になり、少女から大人の女性の顔になりつつある井上さんは、映画やドラマの作り手にとっては貴重な存在となりました。2007年に放送された「ファースト・キス」も大人になった井上さんにとっての新たなる挑戦でした。他の若手女優に比べて出演した作品があまり多くないのも特徴のひとつで、それもまた演技にとってのプラス材料なのかも知れません。2008年には「花より男子」の映画版も公開されるのでさらなる成長が気になるところです。

2008年6月2日月曜日

Sharon_Stone

ハリウッド女優のシャロン・ストーンさんが、中国、四川大地震をめぐるコメントについて、謝罪はしないとの考えを明らかにしました。「地震は中国当局のチベットに対する対応がよくないから起こった。これはカルマかもしれない。」と発言したことに中国で厳しい批判が吹き荒れ、5月29日に謝罪声明を発表していましたが、この声明も「私の意図とは違う」と事実上の撤回をしました。声明は、シャロン・ストーンさんが一部商品のモデルを務めるクリスチャン・ディオールを通じて発表しました。事前にディオール側と打ち合わせをしていましたが、ストーン側が作成した文案が書き換えられたと主張します。ディオールの幹部には「自分は何も悪いことはしていないし、謝らない」と伝えていたのにです。発言の真意を明らかにしたいとして作成した文案では、「発言のごく一部が切り取られて伝えられ、20年以上も慈善活動に尽くしてきた私の評判に傷が付いたことに深い悲しみを覚える」という表現が含まれていました。しかし実際の声明ではこうした部分は削られ、「私の誤った発言により、中国の人たちが悲しみや憤りを感じたことに深く謝罪する」といった完全謝罪の文面でした。これは中国でディオール商品の不買運動も起こっていることにディオール側が配慮したとみられています。しかしストーンさんはまるで自分が悪いことをしたのに同意したように見えると不快感を露わにしました。彼女の発言で、ディオールは中国内でストーンさん関連の広告を全て撤去し、今後のストーンさんの中国内での商品宣伝活動もとりやめたことを明らかにしています。ネット上ではディオール商品不買運動のほか、ストーンさん主演の映画を見ないように呼びかける動きも、また被災地の四川省各地、ネット検索大手のYahoo中国の娯楽ニュース部門など中国メディア約30社は連名で、紙面や画面からストーンさんの名前を「永久に封殺、駆逐する」といった声明を発表しています。ストーンさんの発言には確かに不用意なところがありましたが、その軽い発言に対してここまでの過剰ともとれる中国の対応もいかがなものでしょうか。数ヶ月前にもミュージシャンのBjorkさんもチベット問題の発言に対して大きなバッシングをもらっていました。自分たちに不利な発言はシャットアウトするという風習はいい加減見直す必要があるように思います。

2008年6月1日日曜日

Derby_Infmation

本日日曜日は日本ダービーの日です。芸能界にもたくさんの競馬好きの方がいらっしゃいますが、彼らの予想を紹介してみたいと思います。まずは、アンタッチャブルの山崎さんの予想はサクセスブロッケンだそうです。で、その理由はスターホース不在の今年の馬達の中からスター誕生をテーマにサクセスという名前でということです。コンビの柴田さんの予想はといいますと、柴田さんはデータを重視するタイプなのですが、ダービーだけはお祭りなのであくまでも自分の好きな馬だそうで、タケミカズチと、マイネルチャールズと、アドマイヤコマンドだそうです。おぎやはぎのおぎさんも、やはり日本ダービーには思いいれがあるようで、このレースに勝った馬は今後も勝ち続けなくてはいけないという理由から、サクセスブロッケン。やはぎさんは名前がピンときたのが、強そうな名前のアドマイヤコマンドだそうです。そして、日曜日のスーパー競馬でおなじみのほしのあきさんは、競馬を初めてまだ半年。当然ダービーを観戦するのは初めてです。彼女の予想はといいますと、混戦だけどもどの馬を見ても素晴らしい。そんな時は騎手の方で決めようと思ったと語ります。そして予想は安藤勝己さんの乗るレインボーペガサスだそうです。安藤勝己さんといえば、去年はダイワスカーレットとダイワメジャーに騎乗してG1を勝ちまくっていました。G1以外のレースでも非常に調子がよかったのでその印象が強いのでしょうか。ちなみにこのレインボーペガサスは前走では後方からの競馬で4着に敗れています。しかしラスト3ハロンの上がりタイム34秒3はメンバーで最速でした。東京コースは最後の直線で足を残すことが絶対条件となりますので、あながち的外れな予想とはいえません。そして、このほしのあきさんは今年から競馬番組を始めるとともに馬券を買い始めたそうなのですが、聞くかぎりでは収支はプラスのようです。最近ではNHKマイルCを見事に的中しており、日本ダービーも3連複で勝負だそうです。勝負事はのっている人が一番強いといいますから、要注目ですね。みなさんさすがに競馬好きなだけあってけっこう堅い予想の人が多い印象です。果たしてどなたが的中させるのでしょうか。

2008年5月31日土曜日

Kaoru_Sugita

女優の杉田かおるさんが大手出版社に勤務する50代の男性と半同棲中であることが判明したようです。仕事がきっかけで知り合い、交際をスタートさせて約2年、双方とも親しい友人には大切な人と紹介しているようで、相手男性は前妻と昨年離婚しているといいます。何かと話題の杉田さんに、離婚から約3年で新しいロマンスが生まれました。杉田かおるさんは1964年生まれの女優で、現在は43歳です。1999年には自伝の「すれっからし」を出版し話題にもなりました。2人を知る複数の関係者によると、杉田さんは母や妹が住む都内の高級マンションとは別に、神奈川県にあるという男性のマンションに頻繁に通っているといいます。今年に入ってから友人などにも紹介しだしたようです。相手男性も杉田さんを交えて同僚たちと食事に出かけるなど、結婚を視野に入れた交際を続けています。また、都内のバーに2人で訪れる姿も目撃されており、店内では周囲の目を気にせずにラブラブモードだったといいます。2人が知り合ったのは99年のころで、当時、男性が編集長を務めていた雑誌で杉田さんが短期連載をしていたことがきっかけだったようです。その後で「負け犬」などと言われていた杉田さんは2005年にとある会社の社長と電撃結婚し、セレブ婚とも騒がれましたが、同年の8月に超スピード離婚しました。この離婚は私生活を暴露する杉田さん側と、名誉棄損を主張する会社社長側の法廷バトルに発展しました。離婚して約1年後の2006年9月には、都内の路上で杉田さんが男性に向って泣き叫びながら詰め寄り、その後2人でホテルへ入っていく様子が週刊誌で報じられました。この時点で男性には妻がいましたが、関係者によると約半年前に前妻と離婚しているといい、今は結婚に向けて2人の間に障害はありません。自らのプライベートを暴露することで注目を浴びていた杉田さんですが、2度目の結婚はそう遠くない先の話かもしれません。

2008年5月30日金曜日

AYA SUGIMOTO

昭和11年に起こった安部定事件をモチーフに、愛する男の性器を切り取って自分のものにした美しき猟奇犯罪者の情念を描いた映画「JOHNEN 定の愛」で、杉本彩さんが安部定を演じます。台本を読んだとき「この役を演じられるのは、自分しかいない」と直感したそうです。安部定の魂の渇きや叫びを映像で表現できるのは自分だけだと。「JOHNEN 定の愛」は、「花と蛇2」以来、約3年ぶりの杉本彩さんの主演映画です。最初に望月六朗監督と話したとき、互いのイメージにまったくずれがなく、安心して身をゆだねることができたそうです。ただ、実際に演じてみると、肉体的ではなく精神的にきつかったとか。この映画の中の定の愛や情念は、現世を超越して表現されているから、理屈では理解することができない。魂のレベルで阿部定を理解し、演じる必要があったと語っています。杉本さんはとくに芝居が好きというわけではなく、女優という肩書きで生きていこうと思ったことは一度もないそうですが、自分がやりたいと思うことにたいしては妥協はないようです。杉本彩さんは1987年生まれの女優で、東レ水着キャンペーンガールとしてデビューを果たしました。2004年に主演した映画「花と蛇」が大ヒットを記録し、「インモラル」などの官能小説も発表しています。その活動はダンス、芝居、写真、小説と多岐にわたりますが、最近ではエロタレントとしての色を前面に押し出し、「愛の伝道師」の異名をも持っています。そのキャラクターで多数のバラエティ番組に出演しており、「ロンドンハーツ」、「ソロモン流」、「世界バリバリバリュー」、「ダウンタウンDX」、「VVV6」、「キスだけじゃイヤッ!」、「メレンゲの気持ち」、「恋のから騒ぎ」、「愛のエプロン」、「踊る!さんま御殿!!」、「行列のできる法律相談所」、「ウッチャンナンチャンのウリナリ!」、「人志松本のすべらない話」などゴールデンタイムの番組にも多く出演しています。映画では「花と蛇」シリーズが有名ですが、「極道の妻たち」、「LOVE_DEATH」、「Cross_Chord」、「大帝の剣」と、主演ではないながらも、独特のキャラクターで映画に味付けをしています。

2008年5月29日木曜日

Speed_Racer

KAT-TUNの赤西仁さんが声優デビューしたハリウッド映画「Speed_Racer」の興行収入が、先行で公開されたアメリカで振るわなかったようです。映画は日本のアニメ「マッハGoGoGo」をアメリカワーナーブラザーズとビレッジ・ロードショーが1億ドル以上の製作費をかけて「Matrix」で知られるウォシャウスキー兄弟が実写化した作品です。主演はエミール・ハーシュさんで、出演者には韓国の人気アイドルであるピさん、そしてハリウッド映画の常連ともなった真田広之さんもいます。宣伝費用はなんと8000万ドル以上かけたといわれていますが、全米公開したら、興行収入はわずかに2000万ドルだったそうです。ピさんが韓国と香港でプロモーションを展開しましたが、制作費の半分にも届くかどうかという結果には惨敗としかいいようがないでしょう。そこでなんとか日本の市場で挽回しようと、白羽の矢がたったのがKAT-TUNの赤西さんでした。配給会社としては、赤西さんを日本語吹き替えの声優に選んで、なりふりかまわず女性ファンを動員しようという作戦で、客寄せパンダとして起用したようです。これを受けて上機嫌だった赤西さんですが、アメリカでの惨敗という結果を知って青い顔になっているといいます。日本での公開に先駆けて6月29日に東京ドームで3万5000人を集めての大規模なプレミア試写会が開かれます。この大試写会には赤西さんも出る予定で、彼の力でどれくらいの女性客が見込めるかに注目が集まっています。とはいっても、この映画「SpeedRacer」が今後逆転ヒットにつながることはあまり期待できず、本国アメリカで惨敗したものが真田広之さんが出演するという理由で日本でヒットするとは到底思えません。もしもアメリカでヒットしていれば赤西さんの人気もこれに乗じることができましたが、この状況では東京ドームでの試写会にも不安がつのる一方でしょう。最近のハリウッド映画は製作費用をかけるばかりで中身がどんどん薄くなっているような気がします。この失敗をきっかけに映画界全体が内容を見直してくれればと思います。

2008年5月28日水曜日

CherryPie

プロ野球チーム、ヤクルトに救世主が現れました。ノーギャラで現在人気急上昇中のお笑い芸人、エドはるみさんを始球式に呼ぼうとしたところ、あっさりと断られたヤクルトですが、このニュースを聞きつけて女性お笑いコンビの「チェリーパイ」が、ノーギャラでの始球式を球団に打診してきたそうです。もともとは主砲のアーロン・ガイエル外野手が本塁打後のパフォーマンスとしてエドはるみさんのネタを真似ていることがきっかけで、吉本興業に始球式をもちかけたそうです。しかし、ノーギャラでという条件が響いて結局断られることとなりました。人気芸人はノーギャラでは呼ぶことができないのか、と肩を落としていたところ、大手芸能プロから、「ノーギャラでエドはるみさんの代わりに始球式をしたい」と問い合わせが来たところ、球団は是非と即答したそうです。「チェリーパイ」は元レースクィーンのみほさんと元アイドルのかっすんさんが、ビキニ姿で自らの手で胸を揺らしながらするパフォーマンス「いっぱい、おっぱい、チェリーパイ」で有名なお笑いコンビです。エドはるみさんほどではありませんが、着実に知名度を伸ばしている芸人さんです。そんな人気コンビだけに、関係者は救世主が降臨したとまで言っているそうですが、始球式をするに当たって一つ条件があるそうです。それは「服を一枚着る」というものです。ヤクルトのホームグラウンドの神宮球場は野球の聖地とまで言われる場所ですから、いくら「チェリーパイ」の正装とはいえ、ビキニでの始球式は御偉方がだまってはいない可能性が高いためその条件が提示されたそうです。しかしながら、「チェリーパイ」といえばセクシーパフォーマンスが売りの芸人さんです。もしも服を一枚でも着るとそれだけで魅力が半減するのでは、と球団関係者も頭を悩ませているようです。過去にはインリン・オブ・ジョイトイさん、佐藤エリコさん、ほしのあきさんがお色気たっぷりの始球式を披露したこともありましたが、服だけは着用していました。「チェリーパイ」さんも貴重なアピールの場ですから、どんな条件だろうと生ぬるいことだけはおそらくしないでしょう。

2008年5月27日火曜日

Ako_Kawada

元TBSでフリーアナウンサーの川田亜子さんが26日に東京都港区の路上に駐車した車内で死亡しているのが発見されました。警視庁は、家族あてとみられる遺書が車内にあったことから練炭で自殺を図ったとみています。彼女は今月に入ってから、自身のブログなどで心身の不調を訴えていました。周囲が特に気にかけるようになったのは今月に入ってからで、12日付けのブログでは「母の日に私は悪魔になってしまいました」などとつづっており、そのほかにも「先週から口がうまく回らなく、どうしたものかと悩んでおりました」などと記していました。ネット上などで心配するファンの声が殺到して削除となりましたが、14日付けのブログでは「すみません」のタイトルで謝罪していました。このころ、複数の仕事関係者が川田アナの不調を目にしているようで、24日のトークショーでもうつむき加減の話し方や、抑揚のない声に対して心配する声があがっていました。もともと、彼女は仕事に真摯に向き合い、完璧さを求めるがんばり屋さんとして知られていました。TBSに入って2年目には、無理がたたって急性胃腸炎で倒れたこともあったほどです。所属事務所では、「体調は悪い様子ではありましたが、仕事はしっかりとしていたので安心していた」とコメントしています。しかし、練炭をつかった自殺は周到に準備を重ねてきたことが伺えます。調べによると26日の早朝に「車内で人が倒れている」と通報があり、三田署員が駆けつけたところ、グレーのフードつきパーカーにスカートという普段着姿の川田アナが、所属事務所名義で普段使用している白いベンツの運転席で助手席側に倒れこんでいたそうです。車内には2つの練炭が置かれ、上部には燃えカスがあったことから、死因は一酸化炭素中毒と見られています。助手席には家族あてとみられる白い封筒に入った遺書と、メモ書きがあり、遺書には家族への感謝の言葉が書き連ねてあったといいます。彼女は2007年にTBSを退社してフリーに転身しました。その後も仕事は順調に進んでいたようにも思えますが、仕事以外にも悩みなどがあったのでしょうか。

2008年5月26日月曜日

Miriya_Katou

リアルをテーマに掲げ、誰もが経験している言葉にできない感情をフィルターを通して発信し、10代の代弁者、女子高生のカリスマという地位を確立した加藤ミリヤさん。10代最後となるアルバム「TOKYO_STAR」をリリースしたその視点はすでに次のステージに向けられています。彼女の魅力は、彼女という存在そのものにあるといっても過言ではありません。16歳でデビューした当時から自ら歌詞やメロディを制作し、すべてのクオリティ面において決して妥協を許さない堂々とした姿勢はまさにアーティストのものです。日本のHIPHOPシーンをリードしてきた大物ラッパー達とのコラボを経て、誰もが認める若きR&Bプリンセスとなった彼女はそのポジションに甘んじることなく、10代にして自分の可能性を押し広げながら、スキルやカリスマ性も日々進化し続けているのですから、すばらしいとしか言い様がありません。自分を貫くタフなガールとして憧れの的となっている彼女ですが、あるとき「弱さを知っているからこそ強くなれる」と語ったことがあります。「ディア・ロンリーガール」や、「19Memories」などの歌がこんなにも痛くて強くてエモーショナルなのは、彼女自身が強さと弱さ、そして喜びと悲しみといった両端の感情を常に持ち合わせているからだと考えざるを得なくなります。そんな彼女を輝かせているもうひとつの要素が、彼女自身がデザイナーを務めるアパレル・ブランド「Kawi_Jamele」の存在です。楽曲同様に洋服にも彼女のセンスのよさが反映されているのです。このブランド・コンセプトはグラマラスで、ゴージャス、そしてガーリィそんな欲張りであり続ける女性たちへ向けて、強く美しく生きるためのパワーを与えるようなファッションの提案だそうです。2008年、春夏のコンセプトはPOWER of LOVE。強く、美しくあるために欠かせない愛。カジュアルなスウェット、ラグジュアリーなOP、クールなジャケットなど、それぞれのアイテムごとに「POWER_of_LOVE」を表現しています。6月で20歳となる彼女のこれからの活動には目が離せません。

2008年5月25日日曜日

Maiko

24日公開の石井克人監督の映画「山のあなた~徳市の恋~」でヒロインに抜擢されたマイコさんは元原宿のショップ店員から女優になるというシンデレラストーリーを実現しました。本職はモデルですが、なんと初めて演技する女優デビュー作がSMAPの草薙剛さんの相手役なのです。来年の春公開予定の映画「カフーを待ちわびて」でもヒロインに選ばれるなど、わずか2年の間に芸能界の最前線におどりでました。マイコさんは1985年にアメリカのシアトルで生まれ、1歳のときから東京で生活をしていました。都内の高校を卒業後に就職し、「モデルっぽい店員さんがいる」と話題になっていました。初めて脚光を浴びたのは同僚の誘いで応募した2006年の「ミス東京ガールズコレクション」です。ファッション誌専属のモデルがたくさん集まる審査にGAP店員の肩書きで参加し、最終選考まで残りました。それまでも何度か事務所との契約の話があったそうなのですが、どれもお流れとなっていました。しかし、この審査をきっかけに芸能界入りをはたし、同年の資生堂の企業広告のモデルに起用され、それを見た石井監督から声を掛けられたそうです。映画「山のあなた」は故、清水宏監督の「按摩と女」を忠実に再現し、マイコさんは盲目の徳市を魅了する美千穂を演じます。撮影に入ったのは昨年の5月で、マイコさんは演技経験が皆無だったため、当初は仮決定という立場でした。マイコさんは撮影が近づくにつれて、どうしてもやりたくなったと語り、旧作のDVDも100回以上見て研究したそうです。その結果、旧作の高峰三枝子さんの動きを完全にコピーすることができるようになり、演技初挑戦でヒロインの座を射止めました。この映画はリメイクのため演技というよりも、旧作のものまねの類のものでも通用するかもしれませんが、来年の春公開の映画「カフーを待ちわびて」では役作りの才能も必要となってくるでしょう。見る人の心を揺り動かす女優を目指しているそうですので、次の作品ではぜひとも成功を収めてほしいと思います。

2008年5月24日土曜日

Chinatsu_Wakatsuki

人気ブログ「マーボー豆腐は飲み物です。」を昨年末で終了し、レギュラー番組も降板。その動向が注目されていたタレントの若槻千夏さん。ヤフーオークションで古着のネット販売を始めましたが、実はL.Aやタイなどへの無計画な一人旅のようです。バイヤーに転向したのはいいものの、現在行っている古着販売があまり評判がよくないようです。古着販売ビジネスに専念するために腹をくくり、一時は芸能界から身を引くという公言までした彼女ですが、一体どれくらい運営に係わっているのでしょう。ヤフーストアの代表者の名前は別人のもののようなので、買い付けが彼女だったとしても、恐らくそのほかは全て運営会社のスタッフに丸投げなのでしょう。おまけにネットショップとはいっても所詮はヤフーオークションです。当初、買い付けた商品を完売して8万円の売り上げをたたき出したらしいのですが、わざわざアメリカまで行ったのにそれだけしか買い付けていないという事実の方がよほど微妙です。さらに最近は買い付けもタイに絞っているようです。アメリカで買い付けをしても旅費が高いため利幅が少ないからタイにしたというのが見え見えなのですが、タダ同然の値段で買い付けて来て、それなりの値段で捌くことができればそれなりの利益は上がるでしょう。しかし、所詮は素人の道楽レベルで、ビジネスとして食べていけるほど莫大な儲けには程遠いようです。若槻さんの側近であるヘアメイクさんといい仲になっているといいう噂もあり、そのコネクションを使ってファッション関係に詳しい人を取り込んで、ショップごっこを楽しんでいるといった見方もあります。そもそも、商売のことが何もわからないズブの素人が買い付けから何からを全て一人でやるのは無理があるのですから。若槻さんのこの一連の行動は、電撃結婚により引退したカリスマ・モデルの益若つばささんに触発されたからとも言われていますが、とはいえこの若さで芸能界を引退するのは少し早すぎたのかもしれません。どうせやるのであれば、芸能人のままショップのセレクトだけと割り切った方が商売としては成り立っていたでしょう。

2008年5月23日金曜日

Hideki_Saijyou

歌手の西城秀樹さんが、22日に出演したイベントが中止になるという事件がありました。東京都・渋谷区の渋谷センター街で行われた恋愛・結婚サイト「マッチ・ドットコム」の白馬の王子様探し応援イベントというゲリライベントが行われ、そこに西城秀樹さんが登場。午後1時30分頃から約10分間、地上約20メートルのビルの屋上で通行人に向けて愛の応援メッセージを送りました。しかし、主催者側は警察に道路使用許可書を提出せずにイベントを行っていました。センター街の入り口などの道路には女子校正をはじめどんどん通行人が集まってきて、車の通行が困難になるほどでした。歩行者などから何件もの通報を受けた渋谷警察署から、ビルのオーナーに中止要請の連絡が入ったそうです。そして駆けつけた警官やセンター街の住人も報道陣に撤収を要請し、主催者は警官から事情聴取をされ、口頭で注意を受けました。西城さんはその後2回登場する予定だったようですが、イベントが打ち切られたためにそれはかないませんでした。このイベントのタイトルは「ヒデキ、突撃」だったそうです。西城さんはこうなることを予想しており、前もって主催者側に対して責任は持てないと伝えていたといいます。中止後には「心の中でやっぱりね」とも話しています。主催者側は混雑の見込みの甘さを反省するとともに西城さんに申し訳ないことをしたと謝罪しました。ゲリライベントや路上ライブなどは都内では頻繁に行われており、よほど混雑しないかぎりは通報されることはまずありません。しかし、西城さんほどの有名歌手がゲストで出演するとなると、場所がセンター街ということもあり、かなりの混雑になることは容易に想像できます。そもそもセンター街でのイベントに許可が降りるとも思えませんが、どう考えても主催者側の計画性に問題があったと言えるでしょう。秋葉原での路上でのパフォーマンスやゲリライベントの取り締まりも厳しくなっていますが、今後も都心部では許可なしにイベントをすることは自殺行為ともとれることなのかもしれません。パフォーマーの方も気をつけたほうがいいでしょう。

2008年5月22日木曜日

Hidehiko_Yoshida

6月8日のさいたまスーパーアリーナでの戦極第三陣で、柔道王で知られる格闘家の吉田秀彦さんとレジェンド・ファイターことモーリス・スミスと戦うことが20日に発表されました。必勝を誓う吉田選手に対して、モーリス・スミス選手は早くもローキックでの下半身破壊を予告しました。吉田選手は2006年5月の西島陽介戦を最後に白星から見放され、現在3連敗中です。3月の戦極旗揚げ戦でもジョシュ・バーネット選手に敗れています。会見では「ここ最近は勝ちがないので、今回は勝負にこだわってやりたい。とりあえず勝ちたい」と語るのもうなずける状況です。キックボクシングで数々の栄光を勝ち取っているモーリス・スミス選手には打撃で闘うのは分が悪いと考えているようで、得意のグラウンドに引きずり込みたいとも語っていました。しかし、現在46歳とはいえ、元UFCの王者であるモーリス・スミス選手は簡単な相手ではありません。2007年5月にはマルコ・ファスをTKOで下し、完全復活を果たしており、今年の2月にはリック・ルーファスを腕固めでKOもしています。現在は吉田選手との戦いに備えて合宿をしており、「久しぶりの日本で格好悪い姿は見せられない」と意気込みを語りました。このモーリス・スミス選手は昔から、相手を研究しつくして試合に臨むタイプのファイターで、ビデオでの研究はもちろんのこと、吉田選手の盟友である高阪剛選手とは練習仲間でもあり、そこからの情報収集も余念はなさそうです。「ローキックで下半身を撃破する」と言ったのもその研究結果からの戦略でしょう。吉田選手は2006年にミルコ・クロコップ選手と対戦したときにローキックの連打を受けてTKO負けを喫しており、ローキックを繰り出してくる相手はあまり得意ではありません。吉田選手本人も練習ではカットできるのだけど、試合だとむずかしいと言っており、しかもモーリス・スミス選手はキックボクシング出身なのでローキックは超一流です。今回の対戦はかなり相性が悪い相手だといえますが、吉田選手はローキックをかわせないまでもグラウンドに持ち込むことさえできれば勝機はあるでしょう。

2008年5月21日水曜日

Moe_Oshikiri

プロ野球チーム・ジャイアンツの野間口貴彦投手との復活愛が報じられたモデルの押切もえさんが20日に自信のブログで熱愛報道を認めました。一度は分かれた二人がよりを戻すきっかけとなった裏には、押切もえさんのライバル蛯原友里さんの存在があったからだそうです。押切もえさんは20日のブログで、「離れていた時期もあるけど、彼は、今の私にとってかけがえのない存在です」とコメントしています。この野間口選手との交際を認めたこの文章からは押切もえさんの幸せぶりが伝わってきます。ところが、仕事のほうはあまり芳しくないようです。所属事務所としては蛯原友里さんと押切もえさんのツートップでやっていきたかったそうなのですが、蛯原友里さんが期待以上の活躍を見せているのに対して、押切もえさんのほうはあまり調子がよくありませんでした。そしてそれはライバルと目されていた押切もえさんの背中に敗北感として大きくのしかかってきました。悩みを打ち明ける親友も少なかったようで、仕事がうまくいかず、ライバルにも差をつけられている現実に悩んでいた押切もえさんは元カレである野間口選手に頼ったというのが大方の見解のようです。押切もえさんはファッションモデル、タレントとして有名な女性で、まだ読者モデルということばがメジャーではなかった時代に「ポップティーン」という雑誌に登場し、着実にファンを増やしていきました。2001年に大人系女性を目指して「CanCam」の専属モデルとなり、蛯原友里さん、山田優さん、と並ぶ人気モデルとなりました。その後は2007年の3月から月刊化された「AneCan」の専属モデルに抜擢され、トップレベルのモデルとして認知されるようになりました。しかし、蛯原友里さんが着実にCMなどに出演する一方で、押切もえさんはメディアでの露出は減少していました。過去に出演したCMはSony_Ericssonの「SO702i」「SO703i」、そしてアサヒビールの「旬果搾り」、マンダムの「ルシードエル」、ジョンソン・アンド・ジョンソンの「ワンデーアキュビュー・デファイン」などがあり、露出が減ったとはいえその認知度と人気は現在もトップモデルのものといえるでしょう。

2008年5月20日火曜日

Hitoshi_Matsumoto

日本を代表する漫才コンビ「ダウンタウン」の松本人志さんの自宅で窓ガラスが割られており、空き巣と見られる被害があったことが分かりました。当時松本さんの自宅には人はおらず、盗まれたものもなかったそうですが、警視庁目黒署が窃盗未遂容疑などで調べているところです。調べでは、5日の午後2時頃、東京都目黒区内にある松本さんの自宅で、室内の警報装置が作動。警備員が駆けつけて警察に通報しました。窓ガラスが一箇所、人が通れる程度の大きさに割られており、何者かが侵入した痕跡があったといいます。松本人志さんは1963年生まれの芸人で、「松ちゃん」の愛称で親しまれています。ダウンタウンとして多数のテレビ番組にレギュラー出演しており、フジテレビ系の「ダウンタウンのごっつええ感じ」や日本テレビ系の「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!」などでは出演だけではなく、番組の企画や構成も担当しました。コントに定評があるだけでなく、ゲストとのフリートークにおける即興的な笑いのスタイルは日本一とも言われ、司会者としても一流の芸人さんで、コンビの浜田さんと一緒に司会をすればゲストが誰であろうとそれだけで番組がなりたってしまうほどです。最近では2007年に発表した映画「大日本人」の企画、脚本、監督、出演の四役を務め、映画監督としてのデビューを果たします。日本での公開に先立ってカンヌ国際映画祭の「監督週間」に招待されましたが、カメラ・ドール(新人監督賞)の受賞には至りませんでした。そのすぐ後には映画のプロモーションのために普段はめったにないゲスト出演を「さんまのまんま」や「笑っていいとも」などで行っています。また、ソロでの活動も行っており、フジテレビ系の単発バラエティ番組である「人志松本のすべらない話」が有名です。「人は誰も1つはすべらない話を持っており、それは誰が何度聞いても面白いものである」というのがこの番組のコンセプトで、松本さんと何名かのお笑い芸人が出演してひたすらすべらない話を披露していくという番組です。この放送の第5弾で番組のDVD化が決定したことを発表し、「R_and_C」より発売されたDVDの売り上げは30万枚を超える大ヒットとなりました。これらの話から察するに、確かに松本さんの自宅にはたくさんの貴重品がありそうですね。

2008年5月19日月曜日

THE_BUS

「水の都」と呼ばれる大阪で定期運行されている大阪発の水陸両用バスが東京進出を計画しているようです。もしもこの計画が実現すれば湾岸を中心に開発がめざましいウォーターフロントの新しい目玉となることでしょう。全国初の水陸両用バスは昨年12月から大阪で本格的に定期運行されています。今年の1月には水陸両用タクシーも登場し、ニュース番組などでもとりあげられて大きな話題となりました。それが東京上陸となれば再び大きな話題となるでしょう。この水陸両用バスを運行する「日本水陸観光」によると毎日4から5便の定期ツアーをはじめ週末は予約でほぼ満杯だそうです。水に親しんできた大阪の町の良さをあじわってほしいと同社は語ります。そしてこの爆発的な人気に乗じて東京や横浜での営業を開始するようです。東京湾を望む東京都は大阪にも負けない水の都です。江戸時代から水路を有効に活用しており、現在も隅田川やお台場周辺で水上バスが複数路線を設けて運行されており、修学旅行客や観光客でにぎわっています。当面は観光用の水陸両用バスを計画しているようで、江戸風の屋形船スタイルの水陸両用バスが登場すれば、オフィス街から涼しい水辺に直行できるようにもなります。東京のみならず、横浜でもいろいろな利用方法が考えられます。例えばベイブリッジを通ったあとさらにベイブリッジをくぐるなんて芸当もできてしまうのです。運行開始時期やコースや料金は未だに不明ですが、東京の特徴をいかしたサービス形態はたくさんありそうです。大阪での運行コースは、市内中心部から大阪城、府庁を回って大川をクルージングし、陸路にあがって御堂筋を走ります。お花見の季節には大川沿いの桜を見ることもできます。陸上が70分と水上が30分で、料金はオンシーズンで(大人3600円)(小学生以下2300円)です。車体は国産の8トントラックを改造したCAMI社製のもので、39人搭乗することができます。そして陸上での最高時速は時速120キロ、水上では時速15キロ出すことができます。

2008年5月18日日曜日

clone_free

つい1ヶ月ほど前に「食の不安」を掻き立てる事件がありました。4月23日、アメリカから輸入された牛肉の中に、BSEの原因となる「異常プリオン」が蓄積されている可能性がある危険部位が混入していたのです。危険な牛肉は日本には入ってこないという公約があったからこそアメリカからの牛肉輸入を再開したはずでした。しかし、現実にはそんな公約も意味はなく、危険部位は輸入され続けている可能性がでてきたのです。そうはいっても食の安全管理に対する日本政府のずさんさは今に始まったことではありません。しかし、さらに国民の不安を増幅させるような政策がまた行われようとしているのです。それは「クローン牛」です。クローンとは、生物の細胞や受精卵を人為的に操作し、もとの固体と同じような生物をそのままコピーするという技術でこの技術は欧米で研究されていました。この技術の研究は日本国内でも、80年代から牛などの家畜をクローンとしてコピーする試みが続けられてきました。この技術はいまでも研究中の段階であり、たとえ見た目がクローン化できたとしても、その遺伝子的特質がどんなものになるのか、本当に安全なのかは現時点ではだれもわからないのです。それなのに日本政府は間もなくこのクローンでコピーした牛を食肉用としてアメリカから輸入を解禁しようとしているのです。実は一部のクローン牛は、すでに93年に日本でも食肉用として流通していました。クローン牛では聞こえがよくないため、政府は「Cビーフ」などと称して販売していました。このクローン牛は、「受精卵クローン」という技術で作られたクローン牛で、受精卵を操作して分割するという方法でコピーを作ります。もう一つ「体細胞クローン」という技術は受精卵ではなく皮膚や肉の細胞を元にクローンを作る技術です。この2種類のうち日本政府はまず受精卵クローン牛を安全だと言い張り市場に流通させていました。しかし、普通のホルスタインが死産などの割合は5パーセントなのにたいして、受精卵クローンの死産は10パーセント、変死率は25パーセントを超えます。受精卵クローンは双子や三つ子と変わらないという見解だそうですが、人為的に生態系をくずしたものが安全だとは思えません。まずは政策を決定する人が受精卵クローン牛しか牛肉を食べないようにしてみるのが筋だと思いますがいかがでしょうか。おそらくその人は、人一倍牛肉の原産国に対して敏感で、絶対にクローン牛は食べないのでしょうね。

2008年5月17日土曜日

Kenji_Uchida

「内田けんじ」さんは時間軸が行ったり来たりする巻き戻し手法を使ったり、複数の人間の視点で構成する手法で知られる映画監督です。彼は1972年に神奈川県で生まれ、サンフランシスコ州立大学芸術学部映画科で撮影や脚本技術を学びました。2002年に自主製作した「WEEKEND_BLUES」がデビューのきっかけで、その「WEEKEND_BLUES」はぴあフィルムフェスティバルで入賞しました。彼の新作「アフタースクール」が今月の24日に公開されます。展開が進むにつれてぴたぴたと伏線がハマり、謎が解けていく爽快感が見ものです。内田監督は、2005年に「運命じゃない人」という映画をカンヌ映画祭に出品され、4つの賞を受賞して注目され始めました。男女5人の1夜の物語で、それぞれの5人の立場と視点を見せながらストーリーが展開していく独特の手法を用いた映画でした。新作の「アフタースクール」は、時系列を入れ替えてはいないのですが、複数の立場を見せながら物語が進行していくのは内田監督の十八番です。着想から脚本が仕上がるまでに2年もかかっており、本当は1ヶ月で仕上げるつもりだったのに考えに考えに考えて、泣いたこともあったそうです。脚本や構成の仕上げ方は、「ルービックキューブの面をそろえているようなもので、途中までそろえても全てがぴったりとこなければまたそろえたところを壊さなければならない」とかなり苦悩した様子も語っています。ただ、内田監督は、大事なのは映画のあらすじや構成を転がすことではなく、感情移入できるかどうかであるとも語っています。この「アフタースクール」の出だしは、中学教師である「大泉洋」さんが扮する神野という男のもとに、中学時代の同級生だという「佐々木蔵之介」さんが扮する北沢という男がたずねてきます。北沢は同じく同級生の「堺雅人」さんが扮する木村を捜していることを神野に伝えるところから物語が始まります。よくありそうな話だけど、あまりない、斬新なようだけど何処かで聞いたことがあるような出だしですが、ここからどのように物語が進み、どのようにしてエンディングを迎えるのでしょう。あの内田けんじさん監督作品ですから、ありきたりな展開ではないことは間違いなさそうです。

2008年5月16日金曜日

Bae _Yong_Joon

韓国の超人気俳優で、ヨン様の愛称で知られるペ・ヨンジュンことBea_Yong_Joonが5月12日から6月8日まで、セブンイレブンで予約受付されるお弁当のプロデュースをしています。その弁当の名前は「ゴシレ弁当」。韓国伝統料理で構成されており、薬職同源の知恵から生まれたという体にやさしいメニューをコンセプトに、「キャベツのサムパブ」、「ツナキムチ飯」、「雑穀飯」、「薬飯」、「メッジョッ」、「鶏ガンジョン」、「イカの煮物」、「かぼちゃの煮物」、「豆腐ソン」、「海老のジョン」、「椎茸のジョン」、「白舞茸のナムル」、「ほうれん草のナムル」、「明太子蒸」、「サムジャン」、「ツナキムチ」ら16種類もの料理が盛り込まれた豪華なお弁当で、1個2500円です。受け取りは6月13日からの3日間で店頭で受け取ることができます。今月の末に1年10ヶ月ぶりに来日するとあってのプロモーションの一環なのでしょうか?ヨン様ファンにはたまらない企画となっています。彼は1972年生まれの韓国の俳優です。彼は1994年に韓国ドラマ「愛の挨拶」にてデビューしてすぐに人気俳優となりました。その後も数々のドラマに出演し、1996年のBea_Yong_Joon主演のドラマ「初恋」では韓国での視聴率が65パーセント以上という記録を叩き出し、名実ともにトップクラスの俳優となりました。日本では2003年に放送されたドラマ「冬のソナタ」がヒットしたことによりブレイクしました。ヨン様ブーム、韓流ブームの火付け役となった彼は現在も大人気で、パチンコ「フィーバー冬のソナタ」という機種まで作られたほどです。日本のCMにも多く出演しており、日本コカコーラの「七色亜茶」、大塚製薬の「オロナミンC」、SONYの「デジタルハンディカム」、ロッテの「フラボノガム」、「アーモンドチョコレート」、DAIHATSUの「ミラ」、KDDIの「au_GLOBAL_PASSPORT」、セコムのCMなどで、B級の日本のアイドルや、俳優さんよりも遥かに強い影響力を日本でも獲得しています。本国である韓国では最近人気が低迷していましたが、2007年の韓国ドラマ「太王四神記」に出演し、高視聴率を獲得していることで再び注目を集めています。

2008年5月15日木曜日

Gorin-Ojisan

金帽子と、日の丸の扇子がトレードマークの「五輪おじさん」こと国際オリンピック応援団長の山田直稔さんが、8月の北京オリンピックで半世紀近い五輪応援生活にピリオドを打つ決意をしたそうです。彼は五輪の正装は羽織はかま姿に、右手に日の丸の扇子。6つのペアがあると言われる金の帽子だと語り、1964年のTOKYO大会から1968年のMEXICO大会、1972年のMUNCHEN大会、1976年のMONTREAL大会、1980年のMOSKVA大会、1984年のLOSANGELES大会、1988年のSEOUL大会、1992年のBARCELONA大会、1996年のATLANTA大会、1998年のNAGANO冬季オリンピック、2000年のSYDNEY大会、2004年のATENE大会と、12大会連続ですべて開会式から閉会式まで現地に滞在していました。そして、大会ごとに主催国の小旗を1000本作り、現地人と友達になるために日本の五円玉を「ジャパニーズハッピーコイン」と言ってばらまいていたそうです。かかる費用は1大会で約1000万円とも言われ、この44年間では1億円以上も五輪の応援のために使っている計算となります。日本がボイコットした80年のモスクワ大会には、ソ連と五輪の旗を手に単身で現地に乗り込み、「平和と友好」を訴えました。「言葉も通じない異文化間で、世界を救うのは笑顔だけ」と語る彼は、今年2月には日本にある中国大使館に中国の小旗1000本を贈ったそうです。山田直稔さんは1926年生まれで、現在は82歳です。日本大学工学部建築学科卒業後、ワイヤーロープ業界に入り、60年に「浪速商事」を設立しました。ホテル、不動産業などの社長を経て会長職につき、現在は一線から退いて五輪の応援に専念しています。84年のロサンゼルス大会から国際オリンピック応援団長の肩書きを得ていますが、自称大相撲、全国草野球の応援団長というほどのスポーツ好きです。いつも笑顔が絶えない山田直稔ですが、92年から8月8日を「ワッハッハの日」にするよう政府に陳情し続けているそうです。奇しくも今年の8月8日は北京五輪の開幕する日となっており、その日はきっと山田直稔さんの極上の笑顔を見ることができるでしょう。

2008年5月14日水曜日

Kankuro_Kudo

脚本家として有名な「宮藤官九郎」さんの監督作品である2005年公開の「真夜中の弥次さん喜多さん」に続いて、監督第2作である「少年メリケンサック」の制作が順調に進んでいるようです。前作は「真夜中の弥次さん喜多さん」というコミックを映画化したのに対して、今作は100パーセント宮藤官九郎さんのオリジナルストーリーで、レコード会社のできないOLが、おっさんパンクバンドと全国ツアーにでるというコメディ映画です。名脚本家である宮藤官九郎さんの腕もなるところでしょう。そしてこの映画、そんなパンクバンドに振り回されるできないOLに扮した主演の宮崎あおいさんのコメディ女優としての演技にも注目が集まります。パンクが理解できない主人公の行動に、知らない間にパンクの精神が伝染してしまう様子をどう表現していくのでしょうか。尚、主演の宮崎あおいさんはNHK大河ドラマの収録の合間を縫って今作に出演していたそうです。宮藤官九郎さんは1970年生まれの脚本家で、俳優、演出家としても活動しています。彼の名前を一躍広めたのは、2000年に放送されたテレビドラマの「池袋ウェストゲートパーク」のブレイクではないでしょうか。その他のドラマでは2001年の「ロケットボーイ」、2002年の「木更津キャッツアイ」、2003年の「ぼくの魔法使い」、「マンハッタンラブストーリー」、2005年の「タイガー&ドラゴン」、2006年の「吾輩は主婦である」、2007年の「ガンジス河でバタフライ」があります。映画の脚本も多く務めており、2001年公開の「GO」では、2002年日本アカデミー賞最優秀脚本賞を受賞しています。その後は2002年の「ピンポン」、2003年の「木更津キャッツアイ 日本シリーズ」、「アイデン&ティティ」、2004年の「ドラッグストア・ガール」、「ゼブラーマン」、「69 sixty_nine」、2006年の「木更津キャッツアイ ~ワールドシリーズ~」、2007年の「舞妓Haaaan!!!」とどれもユニークな作品ばかりで、事実上彼が多くの作品を脚本したことによって、日本映画に対しての「退屈だ」という固定観念がくつがえされた人も多いことでしょう。今回の「少年メリケンサック」もきっと「くどかんワールド」をたっぷりと見せてくれるに違いありません。

2008年5月13日火曜日

Detroit_Metal_City

主人公の根岸くんはポップでおしゃれな渋谷系の音楽を愛する少年です。ポップミュージシャンになるために大分県犬飼から大学進学にともなって上京してきた青年が、ポップ歌手としてデビューするという夢をかなえるためにレコード会社と契約します。ところが彼が歌わされることになったのは、彼の主旨とは正反対のデスメタル。メタルが嫌いだった根岸くんですが、いざ歌って見ると秘められた才能を発揮して大ブレイクし、やがてインディーズ界でカリスマ的な人気を誇る悪魔系デスメタル・バンド「Detroit_Metal_City」のボーカル兼ギターであるヨハネ・クラウザーⅡ世として活躍します。他のメンバーはボーカル兼ベースのアレキサンダー・ジャギと、ドラムのカミュによって構成される3ピースバンドです。そんな根岸くんのおもしろくも悲しい姿を描いたヤングアニマルで連載中のギャグ漫画がついに映画化されます。主演は「デス・ノート」でも異彩を放っていた「松山ケンイチ」さんが気が弱い根岸くんと悪魔の化身であるヨハネ・クラウザーⅡ世の両方の役をどう演じるかがみどころです。そして、アレキサンダー・ジャギ役には「細田よしひこ」さん、カミュ役には「秋山竜二」さんと、なかなかはまったキャスティングではないでしょうか。そしてレコード会社であるデスレコーズの社長役には「松雪泰子」さん、ヒロインの相川由利役には「加藤ローサ」さんが抜擢されています。監督は李闘士男さんで、彼は2004年公開の「お父さんのバックドロップ」で映画監督デビューを果たしました。コメディセンスが卓越した監督として知られており、今後のさらなる活躍が期待されています。脚本には「大森美香」さんがあたります。彼女は、フジテレビのドラマである「カバチタレ!」を始め、「ロング・ラブレター~漂流教室~」、「ランチの女王」、「きみはペット」、他には日本テレビの大ヒットドラマ「マイ☆ボス マイ☆ヒーロー」も手がけており、今最も注目を集めている脚本家です。この「Detroit_Metal_City」、果たして原作からどのように手を加えるのか、いったいどのような映画となるのでしょうか。

2008年5月12日月曜日

Sarkozy

2007年5月にフランス共和国第6代大統領に就任し、まもなく1年となるニコラ・サルコジ大統領が、支持率が低迷している中、自らのイメージを大きく変えようと図っています。これまで、派手な私生活と尊大ともいえる言動でフランスの政界をリードしていましたが、これからは「謙虚」と「慎み」をモットーとするようです。彼は大統領に当選した直後に地中海に自家用ジェット機とマルタの豪華ヨットを購入し、野党からはあまりにも豪華すぎると批判を受けていました。しかし、政治の手腕はすばらしく、これまでのフランスではかんがえられなかったような画期的な人事を行うなどをして、国民からの支持率は70パーセント台を記録したこともあります。また彼自身が移民2世であり、フランスの人種間の機会を平等にするために大学の入学者枠を人種ごとに設定するアファーマティブ・アクションを導入することを強く訴えています。しかし、共同、時事電などによれば、フランスの各種世論調査では、サルコジ氏の実績を肯定的に評価する声は20パーセント台ととても低く、その原因は私生活の過剰露出と経済政策への不満が大きいようです。サルコジ大統領は4月24日にテレビ各局のニュースキャスターらを大統領府に招き、1時間を越える特番インタビューに応じました。その番組では、サルコジ大統領は国民が抱いている失望感を率直に認め、政権運営の誤りを言及しました。その内容は、税制をめぐる政策の説明のつたなさや、対中国外交などでの政権の内部での意思の統一が欠如していたこと、他には私生活をメディアにさらし過ぎたとされる点についても自分にも責任があったことを認めました。この謙虚なサルコジ大統領を国民が目撃するのは初めてのことで、国民の支持率も回復するかにみえました。しかし、5月に入るとサルコジ大統領は支持率低下の元凶はメディアにあるとフランスの大手新聞社や雑誌などを名指しで批判したことが判明しました。全国記者労働組合は、一連の大統領の発言に「支持率低迷の責任を記者におしつけるよりも、報道の自由についての懸念に耳を傾けるべき」と苦言を呈する騒ぎとなりました。文句のないカリスマ性を持っているサルコジ大統領だけに、今後支持率はどう変わっていくか、また謙虚な姿勢を続けることができるのかが注目されます。

2008年5月11日日曜日

kameda family

協栄ジムとの関係悪化によって、契約解除を言い渡されていた亀田家が9日に契約解除に同意したそうです。契約解除に関する文書が提出された7日には、亀田家側が了承しなかったため両者は弁護士を通じて、お互いの同意の下で再度文書を作成ました。協栄ジムの金平会長は、押印ずみの書類を日本ボクシングコミッションを通じて亀田家側に提示し、その数時間後に亀田家側が文書にサインをしました。これによって亀田興毅選手と亀田大毅選手は正式に協栄ジムから離れて自由の身となりました。無所属となった亀田家は緊急に非難する場所として、東日本ボクシング協会に身分の一時預かりを申請し、これが承認されれば亀田兄弟は今後、東日本ボクシング協会の一時預かり選手として活動することになります。東日本協会所属となった場合はジムは日本ボクシングコミッションとの話し合いで決定します。試合出場時にはその受け入れを表明したジムでトレーニングをすることとなるのですが、過去に問題を起こしている亀田家を受け入れるジムを見つけることはそう簡単ではないようです。残された道は独立という方法が残っているのですが、亀田家が独立するためには10年以上ライセンスを保持してきた指導者を代表としてジムを設立することが必要で、現段階ではそういった人物はおらず、またコネクションもない様子です。東日本協会に申請を出したばかりですが、亀田興毅選手は、かねてからオファーを受けていた17日のWBA、WBCスーパーフライ級タイトルマッチの前座には出場したい意向のようで、11日にもメキシコへと出発する可能性があります。しかし、12日に行われる理事会で承認され、メキシコ行きが禁止された場合は世界デビューの舞台を前にとんぼ帰りをしなくてはいけない状況となってしまいます。これは協栄ジムのさじ加減次第なのですが、トラブル続きの亀田家だけにひと波乱あったとしても不思議ではありません。今後日本での現役活動が思うように行かなければ、メキシコなどの海外移籍という道も残されていますが、キャリアや実力から厳しいマッチメークとなるリスクが高くファイトマネーも期待できません。現役を続けるために敢えてその選択をして世界チャンピオンを目指すという選択もストイックなボクサーならばいとまないでしょう。

2008年5月10日土曜日

kuidaore

「大阪名物くいだおれ」の閉店が4月9日に正式発表されてからいまだに身元引き受け先が決まっていない「くいだおれ太郎」ですが、各方面からイベントのゲストとして出演依頼が殺到している状態です。7日には大阪府の京橋で行われたブロードウェイミュージカルの観劇にも訪れ、多くのマスコミに取り上げられていました。その「くいだおれ太郎」の争奪戦に関西の大物芸人である桂三枝さんが加わったそうです。桂三枝さんは1943年生まれの大阪府出身の芸人さんで、関西のみでなく、日本のお笑い界を長年牽引し続けてきた大御所です。有名なギャグに「いらっしゃーい」や、「およよ」などがあり、多くの芸人さん達もモノマネするほどの影響力を持っています。近年ではテレビの出演は抑え、もともと本業である落語に力を入れています。「くいだおれ」の閉店が発表されてから、最初に「くいだおれ太郎」の獲得に真っ先に手をあげたのは大阪府の新世界にある通天閣を運営する新世界観光でした。ほかにはプロ野球球団の阪神タイガースの南信男球団社長も買取りの検討を示唆したこともありました。5月8日には人形の商標権と意匠権を共同で買い取ろうと、地元のイベント会社などが「くいだおれファンド」を設立して1億円もの値をつけました。このように今や全国から「くいだおれ太郎」を買い取りたいというオファーが届いているようですが、水面下では、ある大手外食チェーンが億単位でオファーをだしており、引き取り先として有力視されているそうです。それを聞いた桂三枝さんはなんとか「くいだおれ太郎」が大阪から流出してしまうのを防ごうと、地元企業の社長や、有力者などに声をかけて買い取るための資金集めに動いており、本人自らも出資することを考えているそうです。「くいだおれ」の店舗側は、店舗と「くいだおれ太郎」をセットで売却したいと考えているようで、もしそうなれば現在の1億円の価値に店舗の価値(3億円から4億円)が加算され、引き取りの総額は5億円にものぼりそうです。果たして桂三枝さんは「くいだおれ太郎」を獲得することができるのでしょうか?個人的には何でもかんでも利益のために使うのではなく、どこかの余裕のある企業が買い取って、そのまま「大阪名物くいだおれ」を存続させることができれば、それが一番いいのではないかと思っています。

2008年5月9日金曜日

Yuu_Yamada

有名俳優の小栗旬さんと女優の山田優さんの熱愛が先日発覚しましたが。自身のブログで、一連の報道について「私はいつものように過ごしていたんですが、テレビに沢山でていてびっくりしました。お騒がせしましたが、私にとって彼は大切な大事な存在です。」と記述し、報道を肯定しました。小栗旬さんと山田優さんは昨年の10月にアニメ映画の「サーフズ・アップ」の日本語吹き替え版の収録で共演し、続いて小栗旬さんが初主演したドラマ「貧乏男子 ボンビーメン」に山田優さんがヒロイン役として出演しており、これをきっかけに交際が始まったものと思われます。山田優さんは1984年に沖縄県で生まれ、ファッションモデルや女優として有名ですが、歌手としても活躍しています。1995年には沖縄アクターズスクールに合格後、沖縄のテレビ番組に出演していました。2000年には小学館が発行しているファッション雑誌である「CanCan」の専属モデルとしての活動を開始し、CMのイメージモデルとしても多数出演しました。CMはカネボウ化粧品の「アリィ」や「テスティモ」、小学館の「CanCan」、グリコ乳業の「朝食りんごヨーグルト」、江崎グリコの「ZACS」、日本コカコーラの「カナダドライ・ジンジャーエール」、日清食品の「SPA王」、「日清のごんぶと」、キャノンの「PIXUS」、「PowerShot」、花王の「ソフィーナ」、「ロリエ」など大手企業のCMに起用されており、山田優さんを見たことがない人はまずいないのではないでしょうか?テレビ番組では「THE夜もヒッパレ」をはじめ、2003年の「最高!ブギウギナイト」、2004年の「K-1_Dynamite!!」、2005年の「F1モデル」、2006年「人志松本のすべらない話」、など、レギュラーよりも単発の司会やゲストとして多数出演していますが、テレビドラマは毎年のように出演しており、2001年の「金田一少年の事件簿」、2002年の「しあわせのシッポ」、2003年の「愛するために愛されたい」2004年の「それは、突然、嵐のように・・・」、2004年の「オレンジデイズ」、2005年の「夢で逢いましょう」、2006年の「だめんず・うぉ~か~」、2007年の「華麗なる一族」、2008年の「のだめカンタービレ inヨーロッパ」他と、もはやテレビをつければ1日1回は見ることができるほどです。小栗旬さんとの交際は始まったばかりの彼女ですが、仕事と恋愛を両立して頑張ってほしいと応援しています。

2008年5月8日木曜日

Sylvester Stallone

超有名ハリウッドスターであるシルヴェスター・スタローンさんが主演・監督・脚本を務めた映画「ランボー 最後の戦場」のプロモーションで来日し、7日に東京、有楽町にあるザ・ペニンシュラで会見を行いました。さすが大物俳優だけあってこの日は400人もの取材陣が集まった中、シルベスター・スタローンさんは同映画で共演しているジュリー・ベンツさん、グレアム・マクタビッシュさんと共に登場しました。そこでこんなハプニングが、「最後の戦場というタイトルがついているが今後のランボーはどうなるのか?」という質問に、ランボーのさらに続編の構想を練っていると答えました。しかもそのストーリーもすでにできあがっているのか、「メキシコで500人くらいの女性が行方不明になっているのをランボーが探して助けに行く」とかなり具体的なもので、まもなく製作に入る可能性まででてきました。第1作目の「ランボー」は1982年の作品で、監督はテッド・コチェフさんで、シルヴェスター・スタローンさんは脚本と出演を務めていました。この作品はシルヴェスター・スタローンさん本人が危険なスタントを多数こなすというリアリティ溢れる作品でした。ストーリーはベトナム戦争の帰還兵、シルヴェスター・スタローンさんが演じるジョン・ランボーが戦友に会いに行くシーンから始まりますが、その後地元の保安官であるブライアン・デネヒーさん演じるディーズルに逮捕されてしまいます。しかし屈強な人物であるランボーはオートバイを奪って逃走。かつてベトナム戦争で活躍したディーズルは、保安官としての面子を潰されたと思い、警察署の人間総動員でランボーを追いかけるのです。このチープなストーリーの中に、戦うことの無意味さを見事に描いていた秀逸作品でした。しかし、ベトナム帰還兵の悲劇を描いた内容が当時のアメリカでは受け入れられず大ヒットには至りませんでした。その後の2作目、3作目と発表されていますが、どれも大ヒットとまではなりませんでした。しかし、映画の歴史にいつまでも残るであろうこの「ランボー」という名前は誰しもが知るところでしょう。いったい「ランボー」の戦いはいつまで続くのでしょうか?

2008年5月7日水曜日

Kumi_Kouda

最近芸能界復帰を果たし、4月12日に全国ツアーをスタートしたエイベックス・rhythm_zone所属の人気歌手である倖田來未さんが、CMでも復帰することが5月3日に分かりました。P&Gがこの日までに公開ホームページにて倖田來未さんを起用したマーケティング活動の再開を発表していました。出演するCMはジレットヴィーナスブランド「Venus_Breeze」などで、歌手としての復帰を受けて5月1日からのCM再会を決めたそうです。一時のラジオ番組での不適切発言でバッシングを受けて以降、彼女を起用していた企業は次々とCMを自粛していました。ですが、契約を解除していなかった企業も多数あり、今後はそれらの企業もCMを再開していく見通しです。倖田來未さんは1982年生まれの人気歌手で、デビューは2000年に、エイベックスのrhythm_zoneレーベルでデビューしました。デビュー当時は日のあたらなかった彼女ですが、2003年にスクウェアエニックスから発売されたプレイステーション2のゲームソフト「ファイナルファンタジーX-2」のテーマ曲を担当し、一気に知名度が上がりました。そして、独特の露出度の高さを売りとして活動の幅を広げていき、2004年には映画「キューティーハニー」の主題歌である「キューティーハニー」を収録した11枚目のシングル「LOVE&HONEY」がオリコンチャートで初登場第4位を記録し歌手としてブレイクしました。彼女が成し遂げた偉業といえば、2005年の12月から2006年の2月まで、毎週水曜日ごとに12枚連続でニューシングルをリリースするという試みで、その試みは大成功を収めています。「Butterfly」では第47回日本レコード大賞も受賞しており、名実ともに日本のトップ女性シンガーへと成長しました。露出を売りにしているという批判もありましたが、彼女のライブパフォーマンスは好評価で、アイドル路線ではなく、アーティストとして高く評価されていました。2007年には「愛のうた」で第21回日本ゴールドディスク大賞の邦楽部門アーティスト・オブ・ザ・イヤーを受賞し、ベストヒット歌謡祭、ポップスグランプリ、レコード大賞3年連続金賞を受賞していました。先の事件によりバッシングにより、芸能界引退も噂されましたがこの実力がものをいう世界で彼女がそう簡単に埋もれてしまうことはないでしょう。

2008年5月6日火曜日

Shoko-tan

この度女性アイドルの中川翔子さんが5月5日、自身の誕生日にギガントウレシスの全国ツアーをスタートしました。中川翔子さんは1985年5月5日生まれのアイドルで、2001年にポポロガールオーディションでグランプリを受賞したことによってデビューしました。そして、2002年にはミス週刊少年マガジン2002に選ばれ、グラビアアイドルとしての地位を獲得しました。その後、2005年にはTBSが放送した「王様のブランチ」にレギュラー出演し、グラビアだけでなく、マルチな才能を持っているということを世間にアピール。グラビアを見ない人たちに対しての認知度も飛躍的に上がりました。2006年には「Brilliant_Dream」という曲でソニー・ミュージックレコーズからのCDデビューを果たし、オリコンチャート初登場で第29位を獲得し、さらにマルチな才能を世間にアピールしました。その後は音楽路線に力を入れ、2007年には渋谷のC.C.Lemonホールにて初のソロライブを決行し、好評を得ました。さらに同年には歌手として「第58回NHK紅白歌合戦」に出演し、日本中にその名を轟かせました。彼女はグラビアや歌だけでなく、漫画や声優業も務めており、彼女が運営するブログである「しょこたんブログ」は、累計で5億ヒットを超える有名サイトで、本として出版されるほどの人気を誇っています。さらにアニメなども大好きらしく、オタク方面に詳しいことでオタク層からの絶大な支持も得ています。そしてコスプレが好きなことでも有名で、「新世紀エヴァンゲリオン」や「美少女戦士セーラームーン」などの多くの衣装を所有しているようです。2007年には「世界コスプレサミット」にてコスプレ親善大使という役を務め、外務省を訪問もしているのですが、この彼女の活動によってオタク層への世間の評価が変わってきたのも一つの事実です。今回の全国ツアーは自身初で、都内JCBホールでは2500人を動員しました。今後は全国6ヶ所を回り、合計で10公演。動員は2万人を見込んでいるそうです。彼女は映画やドラマなどにも少なからず出演しており、今後は歌手としてだけでなく女優としても期待でき、その活躍は留まることを知りません。

2008年5月5日月曜日

Hiroshi_Kume

テレビキャスターとして有名な久米宏さんが2008年の6月1日に行われるテレビ東京の番組、「久米宏、経済スペシャル”新ニッポン人”現る!」に出演することが決定しました。久米宏さんはテレビ東京の番組に出演するのは初めてのことで、これによってすべての民放を制覇することとなります。この「久米宏、経済スペシャル”新ニッポン人”現る!」は若者向けの経済番組なのですが、現代のお金を使わない20代の若者を「新ニッポン人」と定義し、若者の経済の価値観と現代の日本経済について考えるというものです。ロケでの取材とスタジオトークでの2部構成で、久米宏さんは現場のリポートも務め、討論の司会をも務めるそうです。ゲストには、テレビ東京の看板番組の「ワールド・ビジネス・サテライト」の初代司会者を務め、久米宏さんの「ニュースステーション」時代のライバルでもあった小池百合子衆院議員が出演し、観客を巻き込みながらの徹底討論をくりひろげるそうです。さらに視聴者の目線を意識した企画も行い、現在の経済問題を分かりやすく伝えるそうです。久米宏さんは「これから世の中に出て行く人たちが番組を見てどう思うのかをものすごく知りたい」と意欲まんまんです。私が若いころはこのような番組を見る機会はなかった、というかテレビをあまり見ませんでした。メディアには本当の真実はなく、客観的にみるしかないため単なる娯楽でしかなかったからです。そんななかで、「ニュースステーション」で活躍していた久米宏さんは一キャスターとして報道の義務というものを果たしていたように思いました。そんなわけで今回の「久米宏、経済スペシャル”新ニッポン人”現る!」はバラエティー風なタイトルですが、その放送内容には非常に興味があります。なお久米宏さんは早稲田大学の経済学部で経済を専攻しており、もともと非常に経済に対して関心がある人物です。「ニュースステーション」で司会をしていたころにはテレビで経済ニュースを放送するのはとても難しいと感じ、何とか分かりやすく経済について伝える方法はないものかと模索していたそうです。63歳になった今も報道人としての使命をまっとうしているその心意気には頭がさがります。

2008年5月4日日曜日

Inohara

日本の人気アイドルグループであるV6の井の原快彦さんと女優である瀬戸朝香さんが都内のゲストハウスで挙式と披露宴を行ったそうです。出席者によると、披露宴で瀬戸さんが新郎である井の原さんへの思いを込めたスローバラードをサプライズで歌いあげ、この日のために発声練習までしたという瀬戸さんの愛を受け、井の原さんの目には涙があふれました。一方瀬戸さんも、両親へあてた手紙を読む際に号泣してしまいました。ジャニーズ事務所からは、井の原さんとともにトニセンで全国ツアーを行っていた坂本昌行さん(36歳)、長野博さん(35歳)、このほかにも森田剛さん(29歳)、三宅健さん(28歳)、岡田准一さん(27歳)も出席しV6が全員集合しました。ほかには北乃きいさん(17歳)、中村雅俊さん(57歳)、そしてこの日hideさんの追悼ライブに出演していたDJ_OZUMAさんもライブを終えたあとで披露宴に駆けつけました。原快彦さんは1976年の東京都生まれでジャニーズ事務所に所属しています。愛称は「イノッチ」でこの名前はコンサートなどでの自己紹介でも使用しています。V6では年長組3名を「20th_Century」通称「トニセン」と呼び、年少組3名を「Coming_Century」通称「カミセン」と呼び、それぞれ独立した活動も行っています。来る21世紀に向けてという意味でつけられた「Coming_Century」に対して年長組の名前はなかなかつきませんでした。当時は「アダルトチーム」「ヤングチーム」という風に呼ばれたりもしてましたが、楽屋裏にて近藤真彦さんが命名を進言したことがきっかけとなって、カミセンが21世紀を意味することに対して20世紀を意味する「20th」と命名。その後はカミセンに合わせて「Century」の文字をつけ「20th_Century」通称「トニセン」となりました。井の原さんは「トニセン」のメンバーで、V6のコンサートとは別にも、数々のコンサートを行っています。この挙式は全国ツアーを行っている合間に行われたそうです。また、井の原さんはV6での唯一の妻帯者となりました。

2008年5月3日土曜日

mariah

アメリカの国民的な歌姫のマライア・キャリーさんが西インド諸島にあるバハマで挙式を行ったそうです。相手はラッパー兼俳優であるニック・キャノンさんで、なんと出会ってからわずかに2ヶ月というスピード結婚でした。さらに結婚式では、ニック・キャノンさんはマライア・キャリーさんに2億円以上もする指輪を送ったというからおどろきです。マライア・キャリーさんは先日、ニック・キャノンさんと一緒にトライベッカ映画祭に出席した際、婚約指輪らしきリングを見につけているところが目撃されており、メディアは結婚間近かと報道していました。2人は3月に、マライア・キャリーさんのニューシングルである「バイバイ」のプロモーション撮影でニック・キャノンさんがその監督を務めていたことがきっかけで知り合ったそうです。その直後から交際をはじめて、先月にはラスベガスでデートをしている姿も目撃されていました。マライア・キャリーさんは1998年に、レコード会社の重役であるトミー・モットーラさんという男性と5年間の結婚生活を送っていましたが結局は離婚し、今回で2回目の結婚となります。一方ニック・キャノンさんは2007年に、ランジェリーモデルであるせりータ・イーバンクスさんという女性との婚約を解消して間もないところでの結婚となります。マライア・キャリーさんは1970年生まれで現在は38歳、ベネズエラ系の父親とアイルランド系の母親を持ち、出生地であるニューヨーク州のロングアイランドでは人種差別に耐えながら幼少時代を過ごしたそうです。そしてハイスクールを卒業した後はマンハッタンでウェイトレス業などで生計を立てながらデビューを目指していました。その後、CBSレコードのトミー・モトーラ社長がデモテープを聴いたことがきっかけとなり1990年にメジャーデビューを果たし、現在ではアメリカを代表するアーティストの一人にあげられるほど有名な歌手となりました。尚、過去には18曲もの全米ナンバーワンのヒットソングを発表しており、これは女性アーティストとしては歴代1位の記録です。デビューからのトータルセールスはたったの17年間の活動の中で2億3000枚以上ものセールスを記録しているまさに大御所なのであります。

2008年5月2日金曜日

Megumi_Okina

女優の奥菜恵さんは2007年の4月に15年間在籍していた所属事務所を辞めて1年の休養をとっていましたが、今年の2月に舞台「失われた時間を求めて」で女優業を再会することを決意したようです。彼女は12歳で女優業を始めてからはずっと仕事、仕事の毎日でしたが、平成16年の1月にサイバーエージェントの藤田社長と結婚し、平成17年の7月に離婚した際には仕事をセーブしていました。しかし、1年もの長期休養は初めてのことで、大衆の間では引退の噂もささやかれていました。実際は、この休養は自分を見つめなおす意味を持ったものだったようで、ニューヨークで生活などをして見失っていた自分を取り戻すことができ、ちょうどいいタイミングで舞台「失われた時間を求めて」のオファーがきたため女優業再会を決意したそうです。奥菜恵さんは1979年生まれ、広島県出身の東京都育ちの女優さんです。出演している映画は、1992年「パ★テ★オ」、1994年「NIGHT_HEAD」、2001年「RED_SHADOW 赤影」、「弟切草」、2003年「呪怨 劇場版」、2006年「犬神家の一族」などが代表作ですが、彼女のもつ独特の雰囲気のせいかシリアス、または暗い、恐い映画に多く出演しています。また、テレビドラマでは、1992年の金曜ドラマシアター「パ★テ★オ」から人気を獲得し、1996年の「若葉のころ」や、1997年の「ふたり」、「君が人生の時~The_Time_of_Your_Life~」、1999年の「天国に一番近い男」、「天国のkiss」、2001年の「星の金貨」、2002年の「僕が地球を救う」、2005年の「今夜ひとりのベッドで」、2006年の「ちいさこべ」など非常に数多く出演していて映画よりもテレビを通しての認知度のほうが高いかもしれません。また、演劇でも精力的に活動していて過去には1996年の「アンネの日記」から1998年の「ハムレット」、2005年の「胎内」、2006年の「ペテン師と詐欺師」など、10作品以上も出演しています。また、すばらしい美貌の持ち主としても有名で、これまでに発売された10作を超える写真集の数々は今だ人気が衰えていません。離婚を経て少しイメージダウンしてしまった感は否めませんが、今回のカムバックをきっかけに再びテレビスクリーンのほうにもその姿を見せてほしいと思います。

2008年5月1日木曜日

Ronaldo

元ブラジル代表のロナウド選手がオカマに脅されたという報道を見ました。ロナウド選手は現在ひざの怪我のリハビリのために祖国ブラジルに滞在しているのですが、先週末にロナウド選手がリオデジャネイロにあるクラブに遊びに行ったことからこの事件に発展したそうです。イタリアの情報誌によれば、アンドレイア・アルベルティーネという人がクラブから出てきたロナウド選手を待ち伏せていたそうです。彼は一見女性に見えます。そこでアルベルティーネさんと意気投合したロナウド選手は友達の女性を2人呼ぶように頼みました。ロナウド選手を含めた4人は車でモーテルに向かい、ようやくそこでその3人が女装した男性だったことに気づいたそうです。ロナウド選手は口止め料を払い追い返そうそしましたが、アルベルティーネさんは法外な金額を要求しました。それを拒否すると、警察を呼んで「ロナウドに恐喝された」と訴えたそうです。この事件は現在恐喝事件として扱われているそうですが、こんなことでロナウド選手のキャリアにけちがついたのは残念でなりません。1976年生まれのストライカーで、一時は世界最高の選手とまで言われていました。そのもっとも特徴的なところは、異常なほど瞬発力が高いことでしょう、加えてフットサルで鍛えたという高いテクニックと強靭なフィジカル、さらにはズルさも併せ持っています。ロナウド選手の名前を世界的に有名なものにしたのは、1996年、彼が約60メートルをドリブルで突破して決めたゴールを使用したナイキのCMです。さらにイタリア・セリエAでも得点王を獲得し、2002年の日韓ワールドカップでもブラジルを優勝に導いています。そのとき日本の滞在中にヘアスタイルを「大五郎カット」に変え、多くの日本人ファンを獲得しました。ただ日本人以外の人からの評判はよくなかったようです。その後も活躍を続けていましたが、2006年くらいから体調をくずし出場機会がめっきりと減ってしまいました。そして復調と怪我をくりかえし、祖国に帰らなければ治療できないほどのストレスをためている状態での事件でした。

2008年4月30日水曜日

a_fateful_encounter

近年いろいろな出会いの形体がありますが、ここに来てまたもや斬新な出会いサービスが誕生していたようです。株式会社イニシャルサイトが開始したR's_kitchenというそのサービスのコンセプトは「料理作りを通して出会う、大人のための料理教室」だそうです。需要があればこそのこの供給ですが、もはやなんでもありの時代ですね。この出会いサービスの発端は同じ目的を持った者同士なら自然なコミュニケーションがとれ、既存の出会いサービスに比べると、より親密になる可能性が高まるという考えからできたそうです。そこから事業計画を発展させ、より理想像に近い人と出会うために日ごとに募集する人物像を限定しています。例えば「この日は30台限定のパーティ」、とか男性「年収600万以上限定」といった感じです。また男性3人と女性3人の計6人の少人数制を徹底ことによってコミュニケーションをとりやすくしている。なかなか気の利いた配慮ではないでしょうか?このR's_kitchenですが、月に10回ものパーティを行っています。その料理教室ではまず自己紹介からはいり、クジ引きによって男女のペアを決めます。そして各ペアが1品ずつ1時間以上もの時間をかけてフランス料理を作ります。まさに共同作業というやつですね。話すネタが思い浮かばなくても間違いなく会話できてしまうのが容易に想像できます。そして料理が終わったあとは別室の会食スペースにて2人で作った料理を堪能します。なんとその際はワインまであるというサービスの良さ。お酒は2人の距離を縮めるのには効果的な潤滑油ですからね。しかも料理を一緒に作り盛り上がった雰囲気をのままなので会話もはずむこと請け合いだそうです。しかもサービスは留まることを知らず、現在はこのパーティの参加者だけが登録できるSNSを構築中らしく、実現すればかなりの信頼性のある出会い系サイトのようなものを運営するのと同等の意味をもつのではないでしょうか?参加費用は料理とドリンク料が込みで男性が6500円、女性が5500円と妥当な設定。事業内容は賛否両論でしょうが、既存のサービスを新しいものとし、現在もそのサービスの向上に努めるその気構え、言うなればベンチャー精神はかなり評価できるところではないかと思います。

2008年4月29日火曜日

Hiroyuki_Sanada

先日27日、映画「スピード・レーサー」のワールドプレミアがロサンゼルスのノキア・シアターで行われました。観客は4000人規模で、ハリウッドを含めたロサンゼルス地区でも過去最大の規模だそうですが、そのワールド・プレミアには「ミスター武者」役の真田広之さんも出席していました。真田広之さん1960年に東京都品川区出身の現在日本を代表する俳優の一人として広く知られています。彼は非常にキャリアが長く、多くの映画に出演しています。国内映画での代表的な作品は1981年の「魔界転生」や、1983年の「里見八犬伝」、1984年の「麻雀放浪記」、1990年の「病院へ行こう」1993年の「僕らはみんな生きている」、1998年の「リング」と「らせん」、1999年の「リング2」、2001年の「陰陽師」、2005年の「亡国のイージス」。海外の映画では、2003年の「ラストサムライ」、2007年の「ラッシュアワー3」が有名です。彼は当初日本ではアクション系の俳優として活動していましたが、1984年の「麻雀放浪記」で演技派俳優としての地位を確立しました。また近年では海外での活動も盛んで、イギリスではあの世界の蜷川幸雄さんが演出した「リア王」で1999年から2000年のロイヤル・シェイクスピア・カンパニー公演にも唯一の日本人として出演しています。蜷川さんも世界の名俳優たちと同等の実力をもった俳優は真田広之さんしかいないといった見解だったのかもしれません。世界的な評価を得た真田広之さんは「ラストサムライ」ではあのトム・クルーズさんと競演したことによって、その実力と認知度は世界的なものとなりました。真田広之という名前は芸名なのですが、あの「ソニー千葉」こと世界の千葉真一さんが命名したそうです。そしてその名前が今や「ソニー千葉」以上の認知度を得ようとしているのですから、本当にすごいことだと思います。さて、このたび発表されるこの「スピード・レーサー」なのですが、なんと原案は1967年にフジテレビ系で放送されていた「マッハGo Go Go」が原案だそうです。その劇中の「謎の日本人ビジネスマン、ミスター武者」とう人物役が真田広之さんですが、この「ミスター武者」という名前からは2枚目キャラなのか、3枚目キャラなのかまったく想像がつきません。はたして、どのような演技を見せてくれるのでしょうか?

2008年4月28日月曜日

PLAYZONE

少年隊が86年の初演から23年間ずっと力を入れ続けていたPLAYZONEという少年隊主演のミュージカルがあるのですが、今年の公演を最後に少年隊は卒業することになったようです。このPLAYZONEですが、通算公演は957回、そして観客動員数は138万人以上にものぼるそうです。ほとんどがオリジナルの脚本で、国産のオリジナル・ミュージカルとしては公演数、動員数は過去最多を記録しています。プロデューサーは20周年を迎えたくらいからもう世代交代を考えていたらしく、当の少年隊も世代交代は視野に入れていたようです。今後はPLAYZONEという名前はそのまま残しつつ後輩に託すそうですが、主演は未だに未発表です。少年隊といえば、1965年生まれの錦織一清さん、1966年生まれの植草克秀さん、1966年生まれの東山紀之さんの3人からなるアイドルグループですが、もともとは彼らを含めた当時のジャニーズJr.の総称が少年隊だったようです。少年隊結成当時は主にバックダンサーとして活動し、レコードデビューする以前から全国的に認知されている存在でした。まさにミュージシャンではなくアイドルとしてテレビやコンサートを多数こなし、1985年の「仮面舞踏会」でついにレコードデビューします。その翌年の1986年にPLAYZONEの活動をスタートしました。近年ではそれぞれソロでテレビドラマやCMの仕事をすることが多い中で、このPLAYZONEは3人揃ったところを見ることができる数少ない舞台でした。今年の公演は7月6日から8月31日まで東京都の青山劇場や大阪の梅田芸術劇場で行われます。これまでの名曲や、名シーンを再現するなど、集大成的な公演を予定しているそうです。錦織さんは「感謝の気持ちを込めて今年のPLAYZONEを作りたい」とこの最後の公演に並々ならぬ思いをよせています。2003年には「Vacation」という劇中の格闘シーンで東山さんが骨折するという事故が起きたのですが、「ファンに迷惑はかけられない」と1日も休演しませんでした。やはり、東山さんもこのPLAYZONEには計り知れないほどの思いいれがあるでしょう。後釜が誰になるのかはとても気になるところではありますが、誰がやるにせよ少年隊の意志を受け継いで頑張ってほしいとおもいます。

2008年4月27日日曜日

antattyaburu

私は結構お笑いが好きなのですが、中でもアンタッチャブルが大好きです。彼らは1976年生まれで、ボケ担当の山崎弘也さんと1975年生まれでツッコミ担当の柴田英嗣さんのコンビです。このアンタッチャブルというコンビ名は、タレント養成所のスクールJCAに行っていたころに山崎が好きだった映画「アンタッチャブル」のタイトルをそのままコンビ名にしたそうです。彼らの芸能活動は思っていた以上に長く、1990年には「ボキャブラ天国」に出演しています。そして1999年に「爆笑オンエアバトル」に出演し、常にレベルのたかいステージを披露し話題のコンビとなりました。いつもおしいところで優勝を逃していましたが、第6回大会で念願の優勝を果たしています。この「爆笑オンエアバトル」で優勝できるということは、本当にクオリティの高いショーをしていたということの証明だと思います。2003年の「M-1 グランプリ」では惜しくも3位に終わりましたが、翌年の2004年の「M-1グランプリ」がこの大会に参加できるラストチャンスでした。そこで貫禄のある見事な漫才を披露し見事優勝。ほかの参加者とは明らかにレベルが違うというところを見せ付けてくれました。2005年には「いきなり黄金伝説」でレギュラーとして出演しました。やはり「M-1 グランプリ」優勝の肩書きは伊達ではありません。どの番組に出演してもキレのあるトークや体を張ったギャグなど、常に見るものをあきさせない笑いを提供しつづけてくれました。その他の番組では「リチャードホール」や「お台場湾岸テレビ」や「うまっち」や「エンタの神様」と、露出も多くなってきていました。ちなみに私が大好きなネタは「リチャードホール」での「ロバート・デニーロ」です。このネタは山崎さん扮するロバート・デニーロがCMの撮影現場でむちゃな格好をさせられるという設定なのですが、山崎さんのキャラクターが最高に面白いと思います。しかし、2007年に柴田さんが急性肝炎になってしまったためめっきり露出が少なくなってしまいました。今は活動を再開しているそうなのですが、早く色々な番組に復活してお茶の間を賑わせてほしいものです。

2008年4月26日土曜日

Edison Chen

今日は、Edison_Chenさんという香港のスーパースター(過去の話)について書きます。彼は1980年10月7日にカナダのバンクーバーで生まれたそうです。彼が最初にスポットを浴びたのが、2000年に公開の映画「ジェネックスコップ2」でなんと映画主演でのデビューでしょう。その映画で彼は香港フィルム・アワード新人俳優賞にノミネートされています。その後も2001年の「ファイナル・ロマンス 天若有情3」と「アンディ・ラウ ダンス・オブ・ドリーム」につづき2002年には大ヒット映画「インファイナル・アフェア」2003年、「インファイナル・アフェア2」、「インファイナル・アフェア3」、「ツインズ・エフェクト」、「メダリオン」、「1:99 電影行動」、2004年、「ムービングターゲット」、「ツインズ・エフェクト2」、「ベルベット・レイン」、「セックス&ビューティーズ」、2005年、「頭文字D THE_MOVIE」、「同じ月をみている」、2006年、「呪怨 パンデミック」、「ドッグ・バイト・ドッグ」とかなりのハイペースで俳優活動をこなしていました。中でも「インファイナル・アフェア」はマーティン・スコセッシ監督の2006年公開の第79回アカデミー賞作品賞を受賞したThe_Departedの元ネタなんです。外国映画のリメイク作品がアカデミー賞を受賞するのは史上初のことらしく、そのことからも「インファイナル・アフェア」のストーリーの完成度の高さが伺えますよね。そして、2008年、Edison_Chenの名前を世界中にとどろかせたのは、ワイセツ画像事件です。インターネット上にEdison_Chenと某有名女優のプライベートなベッドシーン(かなりワイセツです)の画像が流出しました。最初は誰もがよくあるアイドル・コラージュだと思っていましたが、どうやらその写真の出所はEdisonのパソコンらしいと判明し、世間をあっと言わせるスキャンダルになりました。国内の学生たちの間では、「とてもいやらしい」の類義語として、「超 Edison」というちょっとした流行語までもができてしまったそうです。しかし、こんな流行語ができるくらいですから、世間はそんなに悪いことではないとの認知なのかもしれません。しかし、香港を代表するスターともなるとシャレではすまされません。2008年自ら芸能界から引退することを発表しました。最近ではカムバックの噂もちらほら聞きますが第一線で活動できるのでしょうか?

2008年4月25日金曜日

Keisuke Koide

世界のニナガワと、評価の高い蜷川幸雄氏が演出する「彩の国シェイクスピア・シリーズ」の第20弾である「から騒ぎ」に小出恵介さんが主演という大抜擢をされました。小出恵介さんと言えば、CMではプロミスや、マクドナルド、明治製菓やJCBUNIQROと大手企業のCMでおなじみの俳優さんですよね。雑誌でも、セブンティーンなどに登場していますのでそのルックスはかなりのものだということが伺えると思います。最近話題になったのが2007年の今井夏木監督作品の恋空に福原優役として出演していました。この恋空という映画、評判こそはそんなによくなかったように思いますが、携帯小説が現代の若者に与える影響力の大きさにはびっくりしてしまいました。さて、この小出恵介さんですが、1984年生まれの24歳、慶応義塾大学の文化部を卒業、容姿端麗でしかも英語、中国語などもたしなんでいるという、非のうちどころなどどこにも見当たらない青年です。ちなみに趣味はバスケットボールやギターだそうなんですが、趣味までもかっこいいですよね。もちろん演技の実力も最近の若手俳優の中ではかなり演技力があるほうだと思います。その演技力が今回の「から騒ぎ」主演の抜擢につながったのでしょうね。柳川氏が言うには、「明るくて影があって台詞が分かりやすい。さらに芝居の切り替えが早く、とてもいい俳優だと思っていたのでいつか一緒に仕事をしたかった。」とのことです。しかしながら、なんでもこの「から騒ぎ」、男性俳優のみで演じる舞台で見せ場のひとつに「男性同士のキスシーン」まであるらしいです。これには私もおどろきました。小出恵介さんはこれだけのイメージを作っておきならがもこういう役に挑戦するなんて、この若さにしてすごい俳優根性ですよね。柳川氏といえば、かなり厳しい演技指導でも有名ですがこの俳優根性と持ち前の才能があればきっと問題なくすばらしい舞台が出来上がるのではないでしょうか?本人も「厳しい状況のほうが何かが変わる。相手をうならせたいという気持ちになる。」とかなりやる気まんまんで、器が大きいなあと思いました。この「から騒ぎ」が成功を収めれば、今後はさらに一回り上の演技力をつけた小出恵介さんを見ることができるような気がします。頑張ってほしいですね。

2008年4月24日木曜日

maki goto

後藤真希が本日帰国しました。後藤真希といえば、あのハロープロジェクトのモーニング娘の黄金時代を引っ張ってきたといっても過言ではないでしょう。彼女は1985年に東京都江戸川区に生まれました。99年の8月にモーニング娘の第2回追加オーディションに見事に合格し、モーニング娘の第3期メンバーとなりました。その後すぐに、誰もが知っているあの超ヒット曲、「LOVEマシーン」でなんとまさかのセンターポジションという大抜擢。この子はもはやモーニング娘の顔だなと思いました。まさにシンデレラストーリーですね。そこが芸能生活のピークではないのが、彼女のすごいところです。02年9月にモーニング娘を卒業しソロに転向しました。その時も根強いファンに支えられ、高い人気を維持し続けました。そしておどろきなのが、「青春ばかちん料理塾」という映画に初主演し、05年にNHK大河ドラマ「義経」に出演。歌って踊れるアイドルとしての成功だけでなく、女優としての成功まで収めてしまったのです。私もアイドルの中ではかなり好きなランクだった後藤真希。しかしどんな天才もずっと成功しつづけることは難しいものなのですね。2007年、悲しいことに実弟が窃盗容疑などにより逮捕されたのをきっかけに「他のメンバー、また事務所に迷惑がかかるから」とハロープロジェクトを脱退、彼女のブログも閉鎖してしまいました。誰もがもうゴマキは引退だろうと思っていたことだと思いますが、先月プログを再開し「新たな一歩を踏み出す」と残し、アメリカで復帰に向けてのトレーニングに向かいました。このフットワークの軽さも天才には必要な要素の一つだと思います。報道によるとロサンゼルスでは、スタジオでのボイストレーニングをしたり、ジムで体を鍛えるなどをして復帰に向けての手応えをつかんだらしいです。その後ラスベガスに滞在し、ハワイに渡ったそうです。それは観光なのでは?とつっこみたくなりますがそれがゴマキ流の復帰プログラムなのです。普通のことをしていてもナンバーワンアイドルの座を手にすることはできませんからね。一回りも二回りもパワーアップしたゴマキを期待しています。