2008年4月30日水曜日

a_fateful_encounter

近年いろいろな出会いの形体がありますが、ここに来てまたもや斬新な出会いサービスが誕生していたようです。株式会社イニシャルサイトが開始したR's_kitchenというそのサービスのコンセプトは「料理作りを通して出会う、大人のための料理教室」だそうです。需要があればこそのこの供給ですが、もはやなんでもありの時代ですね。この出会いサービスの発端は同じ目的を持った者同士なら自然なコミュニケーションがとれ、既存の出会いサービスに比べると、より親密になる可能性が高まるという考えからできたそうです。そこから事業計画を発展させ、より理想像に近い人と出会うために日ごとに募集する人物像を限定しています。例えば「この日は30台限定のパーティ」、とか男性「年収600万以上限定」といった感じです。また男性3人と女性3人の計6人の少人数制を徹底ことによってコミュニケーションをとりやすくしている。なかなか気の利いた配慮ではないでしょうか?このR's_kitchenですが、月に10回ものパーティを行っています。その料理教室ではまず自己紹介からはいり、クジ引きによって男女のペアを決めます。そして各ペアが1品ずつ1時間以上もの時間をかけてフランス料理を作ります。まさに共同作業というやつですね。話すネタが思い浮かばなくても間違いなく会話できてしまうのが容易に想像できます。そして料理が終わったあとは別室の会食スペースにて2人で作った料理を堪能します。なんとその際はワインまであるというサービスの良さ。お酒は2人の距離を縮めるのには効果的な潤滑油ですからね。しかも料理を一緒に作り盛り上がった雰囲気をのままなので会話もはずむこと請け合いだそうです。しかもサービスは留まることを知らず、現在はこのパーティの参加者だけが登録できるSNSを構築中らしく、実現すればかなりの信頼性のある出会い系サイトのようなものを運営するのと同等の意味をもつのではないでしょうか?参加費用は料理とドリンク料が込みで男性が6500円、女性が5500円と妥当な設定。事業内容は賛否両論でしょうが、既存のサービスを新しいものとし、現在もそのサービスの向上に努めるその気構え、言うなればベンチャー精神はかなり評価できるところではないかと思います。

2008年4月29日火曜日

Hiroyuki_Sanada

先日27日、映画「スピード・レーサー」のワールドプレミアがロサンゼルスのノキア・シアターで行われました。観客は4000人規模で、ハリウッドを含めたロサンゼルス地区でも過去最大の規模だそうですが、そのワールド・プレミアには「ミスター武者」役の真田広之さんも出席していました。真田広之さん1960年に東京都品川区出身の現在日本を代表する俳優の一人として広く知られています。彼は非常にキャリアが長く、多くの映画に出演しています。国内映画での代表的な作品は1981年の「魔界転生」や、1983年の「里見八犬伝」、1984年の「麻雀放浪記」、1990年の「病院へ行こう」1993年の「僕らはみんな生きている」、1998年の「リング」と「らせん」、1999年の「リング2」、2001年の「陰陽師」、2005年の「亡国のイージス」。海外の映画では、2003年の「ラストサムライ」、2007年の「ラッシュアワー3」が有名です。彼は当初日本ではアクション系の俳優として活動していましたが、1984年の「麻雀放浪記」で演技派俳優としての地位を確立しました。また近年では海外での活動も盛んで、イギリスではあの世界の蜷川幸雄さんが演出した「リア王」で1999年から2000年のロイヤル・シェイクスピア・カンパニー公演にも唯一の日本人として出演しています。蜷川さんも世界の名俳優たちと同等の実力をもった俳優は真田広之さんしかいないといった見解だったのかもしれません。世界的な評価を得た真田広之さんは「ラストサムライ」ではあのトム・クルーズさんと競演したことによって、その実力と認知度は世界的なものとなりました。真田広之という名前は芸名なのですが、あの「ソニー千葉」こと世界の千葉真一さんが命名したそうです。そしてその名前が今や「ソニー千葉」以上の認知度を得ようとしているのですから、本当にすごいことだと思います。さて、このたび発表されるこの「スピード・レーサー」なのですが、なんと原案は1967年にフジテレビ系で放送されていた「マッハGo Go Go」が原案だそうです。その劇中の「謎の日本人ビジネスマン、ミスター武者」とう人物役が真田広之さんですが、この「ミスター武者」という名前からは2枚目キャラなのか、3枚目キャラなのかまったく想像がつきません。はたして、どのような演技を見せてくれるのでしょうか?

2008年4月28日月曜日

PLAYZONE

少年隊が86年の初演から23年間ずっと力を入れ続けていたPLAYZONEという少年隊主演のミュージカルがあるのですが、今年の公演を最後に少年隊は卒業することになったようです。このPLAYZONEですが、通算公演は957回、そして観客動員数は138万人以上にものぼるそうです。ほとんどがオリジナルの脚本で、国産のオリジナル・ミュージカルとしては公演数、動員数は過去最多を記録しています。プロデューサーは20周年を迎えたくらいからもう世代交代を考えていたらしく、当の少年隊も世代交代は視野に入れていたようです。今後はPLAYZONEという名前はそのまま残しつつ後輩に託すそうですが、主演は未だに未発表です。少年隊といえば、1965年生まれの錦織一清さん、1966年生まれの植草克秀さん、1966年生まれの東山紀之さんの3人からなるアイドルグループですが、もともとは彼らを含めた当時のジャニーズJr.の総称が少年隊だったようです。少年隊結成当時は主にバックダンサーとして活動し、レコードデビューする以前から全国的に認知されている存在でした。まさにミュージシャンではなくアイドルとしてテレビやコンサートを多数こなし、1985年の「仮面舞踏会」でついにレコードデビューします。その翌年の1986年にPLAYZONEの活動をスタートしました。近年ではそれぞれソロでテレビドラマやCMの仕事をすることが多い中で、このPLAYZONEは3人揃ったところを見ることができる数少ない舞台でした。今年の公演は7月6日から8月31日まで東京都の青山劇場や大阪の梅田芸術劇場で行われます。これまでの名曲や、名シーンを再現するなど、集大成的な公演を予定しているそうです。錦織さんは「感謝の気持ちを込めて今年のPLAYZONEを作りたい」とこの最後の公演に並々ならぬ思いをよせています。2003年には「Vacation」という劇中の格闘シーンで東山さんが骨折するという事故が起きたのですが、「ファンに迷惑はかけられない」と1日も休演しませんでした。やはり、東山さんもこのPLAYZONEには計り知れないほどの思いいれがあるでしょう。後釜が誰になるのかはとても気になるところではありますが、誰がやるにせよ少年隊の意志を受け継いで頑張ってほしいとおもいます。

2008年4月27日日曜日

antattyaburu

私は結構お笑いが好きなのですが、中でもアンタッチャブルが大好きです。彼らは1976年生まれで、ボケ担当の山崎弘也さんと1975年生まれでツッコミ担当の柴田英嗣さんのコンビです。このアンタッチャブルというコンビ名は、タレント養成所のスクールJCAに行っていたころに山崎が好きだった映画「アンタッチャブル」のタイトルをそのままコンビ名にしたそうです。彼らの芸能活動は思っていた以上に長く、1990年には「ボキャブラ天国」に出演しています。そして1999年に「爆笑オンエアバトル」に出演し、常にレベルのたかいステージを披露し話題のコンビとなりました。いつもおしいところで優勝を逃していましたが、第6回大会で念願の優勝を果たしています。この「爆笑オンエアバトル」で優勝できるということは、本当にクオリティの高いショーをしていたということの証明だと思います。2003年の「M-1 グランプリ」では惜しくも3位に終わりましたが、翌年の2004年の「M-1グランプリ」がこの大会に参加できるラストチャンスでした。そこで貫禄のある見事な漫才を披露し見事優勝。ほかの参加者とは明らかにレベルが違うというところを見せ付けてくれました。2005年には「いきなり黄金伝説」でレギュラーとして出演しました。やはり「M-1 グランプリ」優勝の肩書きは伊達ではありません。どの番組に出演してもキレのあるトークや体を張ったギャグなど、常に見るものをあきさせない笑いを提供しつづけてくれました。その他の番組では「リチャードホール」や「お台場湾岸テレビ」や「うまっち」や「エンタの神様」と、露出も多くなってきていました。ちなみに私が大好きなネタは「リチャードホール」での「ロバート・デニーロ」です。このネタは山崎さん扮するロバート・デニーロがCMの撮影現場でむちゃな格好をさせられるという設定なのですが、山崎さんのキャラクターが最高に面白いと思います。しかし、2007年に柴田さんが急性肝炎になってしまったためめっきり露出が少なくなってしまいました。今は活動を再開しているそうなのですが、早く色々な番組に復活してお茶の間を賑わせてほしいものです。

2008年4月26日土曜日

Edison Chen

今日は、Edison_Chenさんという香港のスーパースター(過去の話)について書きます。彼は1980年10月7日にカナダのバンクーバーで生まれたそうです。彼が最初にスポットを浴びたのが、2000年に公開の映画「ジェネックスコップ2」でなんと映画主演でのデビューでしょう。その映画で彼は香港フィルム・アワード新人俳優賞にノミネートされています。その後も2001年の「ファイナル・ロマンス 天若有情3」と「アンディ・ラウ ダンス・オブ・ドリーム」につづき2002年には大ヒット映画「インファイナル・アフェア」2003年、「インファイナル・アフェア2」、「インファイナル・アフェア3」、「ツインズ・エフェクト」、「メダリオン」、「1:99 電影行動」、2004年、「ムービングターゲット」、「ツインズ・エフェクト2」、「ベルベット・レイン」、「セックス&ビューティーズ」、2005年、「頭文字D THE_MOVIE」、「同じ月をみている」、2006年、「呪怨 パンデミック」、「ドッグ・バイト・ドッグ」とかなりのハイペースで俳優活動をこなしていました。中でも「インファイナル・アフェア」はマーティン・スコセッシ監督の2006年公開の第79回アカデミー賞作品賞を受賞したThe_Departedの元ネタなんです。外国映画のリメイク作品がアカデミー賞を受賞するのは史上初のことらしく、そのことからも「インファイナル・アフェア」のストーリーの完成度の高さが伺えますよね。そして、2008年、Edison_Chenの名前を世界中にとどろかせたのは、ワイセツ画像事件です。インターネット上にEdison_Chenと某有名女優のプライベートなベッドシーン(かなりワイセツです)の画像が流出しました。最初は誰もがよくあるアイドル・コラージュだと思っていましたが、どうやらその写真の出所はEdisonのパソコンらしいと判明し、世間をあっと言わせるスキャンダルになりました。国内の学生たちの間では、「とてもいやらしい」の類義語として、「超 Edison」というちょっとした流行語までもができてしまったそうです。しかし、こんな流行語ができるくらいですから、世間はそんなに悪いことではないとの認知なのかもしれません。しかし、香港を代表するスターともなるとシャレではすまされません。2008年自ら芸能界から引退することを発表しました。最近ではカムバックの噂もちらほら聞きますが第一線で活動できるのでしょうか?

2008年4月25日金曜日

Keisuke Koide

世界のニナガワと、評価の高い蜷川幸雄氏が演出する「彩の国シェイクスピア・シリーズ」の第20弾である「から騒ぎ」に小出恵介さんが主演という大抜擢をされました。小出恵介さんと言えば、CMではプロミスや、マクドナルド、明治製菓やJCBUNIQROと大手企業のCMでおなじみの俳優さんですよね。雑誌でも、セブンティーンなどに登場していますのでそのルックスはかなりのものだということが伺えると思います。最近話題になったのが2007年の今井夏木監督作品の恋空に福原優役として出演していました。この恋空という映画、評判こそはそんなによくなかったように思いますが、携帯小説が現代の若者に与える影響力の大きさにはびっくりしてしまいました。さて、この小出恵介さんですが、1984年生まれの24歳、慶応義塾大学の文化部を卒業、容姿端麗でしかも英語、中国語などもたしなんでいるという、非のうちどころなどどこにも見当たらない青年です。ちなみに趣味はバスケットボールやギターだそうなんですが、趣味までもかっこいいですよね。もちろん演技の実力も最近の若手俳優の中ではかなり演技力があるほうだと思います。その演技力が今回の「から騒ぎ」主演の抜擢につながったのでしょうね。柳川氏が言うには、「明るくて影があって台詞が分かりやすい。さらに芝居の切り替えが早く、とてもいい俳優だと思っていたのでいつか一緒に仕事をしたかった。」とのことです。しかしながら、なんでもこの「から騒ぎ」、男性俳優のみで演じる舞台で見せ場のひとつに「男性同士のキスシーン」まであるらしいです。これには私もおどろきました。小出恵介さんはこれだけのイメージを作っておきならがもこういう役に挑戦するなんて、この若さにしてすごい俳優根性ですよね。柳川氏といえば、かなり厳しい演技指導でも有名ですがこの俳優根性と持ち前の才能があればきっと問題なくすばらしい舞台が出来上がるのではないでしょうか?本人も「厳しい状況のほうが何かが変わる。相手をうならせたいという気持ちになる。」とかなりやる気まんまんで、器が大きいなあと思いました。この「から騒ぎ」が成功を収めれば、今後はさらに一回り上の演技力をつけた小出恵介さんを見ることができるような気がします。頑張ってほしいですね。

2008年4月24日木曜日

maki goto

後藤真希が本日帰国しました。後藤真希といえば、あのハロープロジェクトのモーニング娘の黄金時代を引っ張ってきたといっても過言ではないでしょう。彼女は1985年に東京都江戸川区に生まれました。99年の8月にモーニング娘の第2回追加オーディションに見事に合格し、モーニング娘の第3期メンバーとなりました。その後すぐに、誰もが知っているあの超ヒット曲、「LOVEマシーン」でなんとまさかのセンターポジションという大抜擢。この子はもはやモーニング娘の顔だなと思いました。まさにシンデレラストーリーですね。そこが芸能生活のピークではないのが、彼女のすごいところです。02年9月にモーニング娘を卒業しソロに転向しました。その時も根強いファンに支えられ、高い人気を維持し続けました。そしておどろきなのが、「青春ばかちん料理塾」という映画に初主演し、05年にNHK大河ドラマ「義経」に出演。歌って踊れるアイドルとしての成功だけでなく、女優としての成功まで収めてしまったのです。私もアイドルの中ではかなり好きなランクだった後藤真希。しかしどんな天才もずっと成功しつづけることは難しいものなのですね。2007年、悲しいことに実弟が窃盗容疑などにより逮捕されたのをきっかけに「他のメンバー、また事務所に迷惑がかかるから」とハロープロジェクトを脱退、彼女のブログも閉鎖してしまいました。誰もがもうゴマキは引退だろうと思っていたことだと思いますが、先月プログを再開し「新たな一歩を踏み出す」と残し、アメリカで復帰に向けてのトレーニングに向かいました。このフットワークの軽さも天才には必要な要素の一つだと思います。報道によるとロサンゼルスでは、スタジオでのボイストレーニングをしたり、ジムで体を鍛えるなどをして復帰に向けての手応えをつかんだらしいです。その後ラスベガスに滞在し、ハワイに渡ったそうです。それは観光なのでは?とつっこみたくなりますがそれがゴマキ流の復帰プログラムなのです。普通のことをしていてもナンバーワンアイドルの座を手にすることはできませんからね。一回りも二回りもパワーアップしたゴマキを期待しています。